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東北旅行記録 その2
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めかねながら書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その2
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2011.7.26 一関 厳美渓となりの旅館にて

2日間、東北の被災地をいくつか見て回った。まず1日目はけんさくの運転で、気仙沼から南三陸を見た。けんさくには感謝している。

気仙沼で海が近づくにつれて、崩れかけた家屋の数が次第に増えて緊張感が高まった。海まで到達し、目に入ったのは、窓ガラスから内装までぶち抜かれて骨組みだけ残された建物、撤去も既に済んだのだと思われる更地、2回の高さなのにひしゃげた看板や街灯。地盤沈下の影響で、がたがたになった道路、海水の抜けない部分も。でも実は少し海から離れると高台があって、そこの家屋は見たところほぼ無事。海から数百メートル?離れたところなら意外とそこも無事だったりして。力学的には、そこには理由があるのだろうけど、でもどうして、ここに住んでいた人たちの暮らしがこんなにも破壊されねばならないのだろう、と思ってしまった。土木の観点からは、なぜココは飲まれてココは飲まれなかったのかを、いちいち科学的に解明し理解する必要があると思う。

けんさくと合流してから、その近場の別の漁港へ連れて行ってもらった。家庭にあったのであろう、小物入れのかごや、子供のものらしい小さな靴が落ちていた。普通の、普段の生活を送っていただけなのに、本当に思いも寄らないことが、突然、身の上に降りかかったのだと思うと、その悲しさや無念さは計り知れない。近くで、重機による撤去作業が進んでいた。ゴミになるはずのなかったものが、次々と処分されていく。今となれば、もちろんその作業は必要なのだけど。

車で走ると、最初に見た様子よりもよりひどく、広く被害を受けた地域を目にすることになった。気仙沼向洋高校は、3階までぶち抜かれていた。橋桁が流失した鉄道橋跡もあった。駅舎は丸々なくなっていた。しかし中でも、このように書いて被災の事実に大小をつけたくはないが、しかし中でも南三陸の様子が衝撃的だった。見渡す限りの、平地。逃げようにも、高台なんてすぐにはなかったんじゃないかと思う。津波は数キロ先まで入り込んだんだろう、破壊された家屋が内陸のほうまでずっと続いていた。海から迫ってくる津波を想像しただけでも、本当に心底おそろしい。今となっては寂静としている海を見て、ホテルへの帰り道、海のことが本当に憎たらしくてたまらなかった。

しかしそれにしても、恐ろしい威力だと改めて、いや初めて知った。こんなにも高く、激しく、とめどなく襲ってくる津波に対して、何ができるというのだろう。土木技術者うんぬんと意気込んで見に行ったけど、これはもう、この破壊力は、想像の粋をまさに超えていて、これを抑えこむことなどやはりできないのではないかという思いがよぎる。でも、それが土木技術者としての答えにまったくなっていないことを知る。自分は、土木はやはりハードで社会を守り導くべきであって、ソフトはあくまで補足としての手段であると思っているのだけど、今回のような強力な津波はハードで抑えこむことが難しいと認めるとしても、土木はそれでも最大限に被害を食い止める、または遅延させるハードを目指し続けるべきだし、それを補う手法としてのソフトも拡充していき、やはり命を守り抜く、確固たる役割を果たしていかなくてはならない。例えば今回、ものによるけども鉄筋コンクリートの建物のなかには、津波によって内装が持っていかれていても、構造としては耐え抜いたものがある。話に聞くとそうした建物の屋上にて難を逃れた人が実際にいるのだ。こうした鉄筋コンクリートの建築物の配置計画、民間ビル等も含めた有効活用とか。景観との兼ね合いその他いろいろ難しいにしても、今回の教訓を学び取って、現実に活かしていくことが何よりも大切だ。

(ここでいったん眠る。7月27日朝、つづき。)

もしも今回と同じような地震と津波が東海・東南海を襲ったとたら。いや例えばもし土木技術者の時間が震災前に戻せるとしたら、どこまで戻って何をするべきなのだろうか。それを整理しておかなくてはならない。震災発生の直前に戻るのだったら、荷物をまとめて逃げるように呼びかける。これは土木技術者じゃなくても同じことだ。では、もっと戻ったとしたら、防波堤の強化、耐震・対津波構造の研究開発と普及、震災探知・予測の精緻化、土地利用の制限と徹底、避難経路の整理。これで十分?なにか、抜本的に異なる視点からの発明が必要に思う。津波を抑えこむ何か。それがないと、結局は荷物をまとめて逃げてもらうことになってしまって、きっとそれでは全ての命を守りぬくことはできなくて、それは土木技術者として負けということなんじゃないかと思う。

僕は津波対策・地震対策の道に行きたいのだろうか。大学時代に力学は大の苦手だったが、やればできると思うし、そういう方向転換は実際あっても良いと思う。今回の訪問で得られたアイデアだ。

以上、1日目の所感。
by kan-net | 2011-07-31 01:46 | 勉強・見学
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