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箱根一人旅記録
宣言どおり、一泊二日で箱根に行ってきました。
宣言では一泊二日でしたが、洋服は二泊三日分持っていきましたが、一泊二日でした。

ではここで今回の一人旅を無駄に細かく振り返ります。


初日(2012年4月18日)

10時ごろ 起床

11時ごろ 出発

12時ごろ ロマンスカー(最後尾車両からの眺め)
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13時ごろ 到着
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14時ごろ 昼食。課長に勧められた知客茶屋。山いも御膳。美味。
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15時ごろ コーヒー

16時ごろ 投宿。箱根水明荘。設備は良い。
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16時半ごろ 温泉#1。最上階で、眺めも良い。
(写真はないよ)

18時半ごろ 夕食。メシもうまい。
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20時半ごろ 温泉#2。良い湯だ。

21時ごろ 読書。「不揃いの木を組む」。ふむふむ。

23時ごろ 温泉#3。露天風呂がようやく男性タイムに。しかし暗くてなんも見えん。

24時過ぎごろ 就寝。ここ半年の回顧録をつけるとか考えてたけど、何もできず、ころっと。


最終日(2012年4月19日)

6時半ごろ 起床→様子見

7時ごろ 温泉#4。露天風呂。開放感が良い。

7時半ごろ 朝食。たらふく。

8時半ごろ うとうと

9時半ごろ おでかけ。水明荘は総じて悪くなかったけど接客に改善の余地あり。

10時半ごろ 箱根登山鉄道で西進。イイネ!
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11時ごろ 強羅公園。イイネ!!

河津桜
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よくみる桜
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とバニラソフト
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12時ごろ ケーブルカー。イイネ
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12時半過ぎ ロープウェイ。イイネ!

スキー場のやつみたいだね!
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芦ノ湖へ。
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13時半ごろ 海賊船に乗船。それでは存分にご覧ください。

正面(この時点で、デッキの左半分に小さいのがたくさんいると発覚)
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乗ってみるとそこは海上のジャンゴー
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「さらわれるー」「海賊だー」と惑う者あり、「海賊王になる!」と息巻く者あり。
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14時ごろ 箱根駅伝往路ゴール地点
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14時半ごろ 傳兵衛蕎麦の、山菜そば。美味!写真がなくて残念。。

15時ごろ 雲助団子。美味!!
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15時過ぎごろ 箱根登山バスで箱根湯本へ

16時ごろ ロマンスカーで帰路(最後尾車両からの眺め)
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18時ごろ 最寄り駅の近くのミスドでトルストイのアンナ・カレーニナを読む。

19時ごろ 帰宅


おしまい。


二日目、けっこう動いたので、休んだけどちょっと身体は疲れてる。
あと実はあんまりお肌がつるつるスベスベにならなかった。
そういう意味ではちょっと思ってたんと違う感じだったけど、
気分転換ができたことは本当に良かったと思ってますのです。はい。


ちなみに今週末は会社の同期たちと那須旅行に行ってきます。
遊んでばっかりやないか、と思うでしょう?そうなの。今は遊ぶの。
昨年12月からの4か月分、ちょっと取り戻させて。
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by kan-net | 2012-04-20 00:51 |
ひとやすみしてきます
昨晩のブログにも書きましたが、ちょっと疲れたので、明日ひとやすみしてきます。

箱根に行くことにしました。箱根湯本。
今のところ一泊の宿しか取っていないけど、気分次第では二泊してきます。

悠々自適、一人旅です。何をするかは特に決めていません。
本を何冊か持っていきます。あと、カメラも持っていきます。
そのほかには、もちろん、替えの下着や服も持っていきます。
人々から「温泉饅頭で良いよ」と言われているので、温泉饅頭で良いと思っています。

晴れても、雨でも、どちらでもいいです。かといって、曇りでもいいです。
ロマンスカー、登山鉄道などなど、行き方も様々なようですが、
さしあたってロマンスカーの予定です。一人旅ですが。

温泉につかってスベスベになって、つかり過ぎてシワシワになって、
湯からあがってサラサラになって、また温泉につかってもっとスベスベになって、
今度はつかり過ぎなくてもシワシワになって、湯からあがってやっぱりサラサラになって、
そういうのを何度か繰り返してきます。三度は繰り返す予定です。

どんな本を持っていくか考え中ですが、夜間はぜひとも
日記を認めたり詩歌を嗜んだりといった発信型の取り組みを取り入れたいところです。
そろそろ文豪としての活動も始めねばなるまいとの思いもあります。
本当はもう少しひっそりした温泉宿で病床に臥しながらのほうが相応しく思われますが。

そんなことを考えていると、もう深夜なのです。
明日の朝、目覚め次第、支度をして、ひとやすみしてきます。
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by kan-net | 2012-04-18 02:38 | 何気ない
生活リズムの変化
今朝目覚めると、私は巨大な虫になっていた。

うそです。


今朝目覚めて、身体がとても疲れているのを感じた。

よく考えてみると先週の木曜日に帰国して、金曜日は会社に行き、
土日は両日とも外に出かけて友人と会ってきたので、
いくら日本に帰ってきて気分が解放されたとは言っても、
去年12月から蓄積され続けた疲労はまだ十分に身体に残っているのでした。


去年12月からの怒涛のラッシュ4ヶ月間は、ひどかった。
2月ごろだろうか、瞬間的に手元のToDoリストに11案件並んだ瞬間があった。

・インド 最終報告書・精算
・インド 解析・最終報告書
・インド プロポーザル(補助)
・パキスタン 解析
・エルサルバドル 最終報告書・精算
・エルサルバドル プロポーザル(補助)
・ブラジル プロポーザル(補助)
・ベトナム プロポーザル(補助)
・インドネシア プロポーザル(補助)
・ミャンマー プロポーザル(補助)
・世界8都市 プロポーザル(補助)

こうやってみるとプロポーザル多いな!ちなみにこの7件中6件受注!


当時、あまりにひどいので上司に相談したが、まったく意味を成さず。
その節には周りの先輩や友人に助けてもらいました。ありがとうございました。
そして具体的な手伝いをしてくれた人だけでなく、多くの人に心配や心遣いをしてもらい
情けなく思いながらとてもありがたかったです。ありがとうございました。

などと唐突にお礼なんかも言いつつ。


しかしこの本当にきつい日々を耐え抜けたのは、自分自身としては、
なんとなく高校時代の陸上競技の経験がある種の基盤になっているような気がしている。
400mハードルという競技をやっていた中で、自分なりにハッキリしていたのは、
身体が疲れて動かなくなってきても(300m地点前後から必ずそうなるわけだが)、
とにかく気を確かに持ってフォームを保つこと、それを最後まで我慢強く続けること。
そのスタイルというか意識で、思えば大学院の研究もしんどかったけど乗り越えたし、
今回の怒涛の4ヶ月も乗り越えたのかなという気がする。

などと唐突に高校時代へ思いを馳せつつ。


で、今は4ヶ月のヤマをついに乗り越えきったのです。
まだその4ヶ月の余韻の余韻みたいので、遅れ気味の案件がないわけではないけれど、
夜はそれなりの時間には帰ることができて、休みの日は休むことができるのです。

本当に、昨年12月からはいつのまにか、超多忙な状態に追い込まれていたけれども、
今こうして、いつのまにか、その超多忙状態から解放されている。
この生活リズムの変わり様に、我ながら呆気にとられています。
あーこりゃびっくりだ。

と、今回のブログはそれだけの話なのですがね。

とにかく、2011年12月から2012年3月までの、悪夢のような4ヶ月は終焉を迎え、
私の生活にもゆとりが戻ってきたことを、ここに声高らかに宣言します。


なお本当に、身体に疲労がとても溜まっていると感じるので、
遅れ気味の仕事はあるのだけど明後日・明々後日(18,19)あたり、
休みをとって温泉にでも行ってこようかと思っています。
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by kan-net | 2012-04-17 01:48 | 仕事
サイゴンのしめやかな宴
ベトナムは飲みゅにけーしょんの国。

帰国前日の昨夜、交通調査の再委託先ローカルコンサルタント4人と飲みに行った。

よく、日本人とベトナム人とで「飲み会」をすると、
さかんに「もっ はい ばー よー!(1、2、3、ダーッ)」と声をかけて
一気飲みだとか半分飲みだとかする流れになるのだけど、
今回は違っていた。

ひとりが杯を前に出す。周りも従う。コツンと合わせる。終わり。特にかけ声なし。

おー。ベトナム人もけっこうしめやかに飲むんやな。と。
そんなに日本での普通の飲み方と変わらんちゃ変わらんな。
…と単純に思っていたのは序盤だけで、やっぱり途中から少し様子が違うとわかった。

①ひんぱん
この、誰かが杯を前に出したのに従って乾杯するという方式、の、実施頻度が高い。
五分に1度はやってたんちゃうか。

②きっかけなし
誰かが面白いこと言うとか、話の切れ目とか、そういう明確な区切りがなくても
唐突に誰かが杯を差し出して、コツン。

③みちづれ
終盤になると食事もほぼ済み、ただ飲むだけという段階になるわけだが、
その段になると完全みちづれシステムに移行する。
誰か一人でも杯を手にした時点で、「お、おまえ飲むのか、じゃあ」つって、コツン。


静かに、しかし着実に。
少人数だったから体験できた飲み方だったかなぁと思う。味わい深い夜だった。


ちなみに食事では魚介類、特に貝類がふんだんにふるまわれた。
2010年のパキスタン出張依頼、どこへ行っても大きく腹を壊していないのだが
今回は大丈夫だろうか。食べてから10時間経過してるけど、今のところ異常なし。

今から現場に出て、夜行便で帰国します。で今回のベトナム出張30日間おわり。
ではまた日本で。
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by kan-net | 2012-04-11 08:23 | 仕事
読書録:技術屋の心眼
昨晩、数カ月ぶりに読書の時間が取れて、
ずっと途中までしか読めずにいた本をようやく読めました。

技術屋の心眼 E.S. ファーガソン(翻訳:藤原良樹、砂田久吉)、平凡社、1995年
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工学系の人は読むと良いと思う。
工学系じゃない人も、読むと良いと思う。
みーんな、読むと良いと思う。

私の感想。

最近の、地に足がついてないという感じとか、もがいてるわりに進歩がない感じとか、
それは結局、五感が磨かれていないのに理屈を振り回そうとしてるからかな。

大学を出て仕事をしながら感じることは、
理屈で解決できることもたくさんあるけど、理屈で解決できないことはもっとたくさんあって、
「判断」をしなくてはいけない場面が無数にあるということ。
「理論」や「システム」は幻想で、社会は実のところいつでも生身の人間の集合であって、
その人間たちの無数の判断によって社会が形成されているということ。
理屈、科学や理論はその判断の助けにはなるけど、なされる判断の多さ、大きさに比べると
まさに「助け」以上のものではあり得ないということ。
理屈は説明責任のために用いられることの方が多く、
本当の判断はそれらとは別のところでなされるということ。

「判断する能力・センス」がとても大事で、この獲得のためには、
応用力や問題解決力といったキーワードを掲げているだけではきっとあまり意味はなくて、
モノの仕組みについての直接的な経験を通した五感を養うことが必要。なのだ。
この五感が、そうか、今の自分には圧倒的に不足しているってことね。

というあたりが、感想。かな。
はい。以上。

以下、本文より抜粋。

(前略)これは現代の俗説の一つであり、そうした俗説は、技術に携わる人々が我々の住んでいる世界を形づくるに際して、科学的とは言えない多くの決定――大きなものも小さなものも――をしていることを無視している。(序・5ページ)

本書の基礎をなす議論は次の点にある。すなわち言語によらない学習という工学における貴重な遺産を無視した教育は、無数にある微妙な点――そこでは、現実の世界は教授が教えてくれた数学的な世界とは異なっている――については恐ろしいほど無知な学生を生み出してしまうだろうということである。(序・7ページ)

その複雑さ、とらえにくさにもかかわらず、またきちんとした線図に乗らないにもかかわらず、技術分野における設計は、予測可能な道筋に従っている。その道筋の本質が、CADや望まれていた設計の科学なるものによって変えられることはないであろう。コンピューター利用による確実性というのは幻想であり、設計がうまくいくのに必要とされる人間の判断の量や質を変更するものではない。(58ページ)

コンピューター・プログラム――利用できる問題の種類はますます多くなっている――を利用する場合、設計者は小さな細かい決定を全て、経験を積んだ設計者というよりは「巧みな工学的科学者」といったほうがはるかに近いプログラマーに委ねてしまうことになる。膨大なコンピューター・プログラムの中にある判断や決定の要点をすべて明らかにすることは、不可能ではないとしても困難である。けれども、これらの小さな決定が、設計が成功するかどうかの死命を制することもありうる。(59ページ)

いずれにしても、設計には、その形式がどうであれ、常に仮定と判断という問題が存在する。全ての仮定を明確にすることはできない――暗黙裡の知識や言葉にはならない(そして言葉では表せない)判断があまりにも多すぎる――がゆえに、過程や判断、そして決定(大きなものも小さなものも細かいものも)を、工学的科学のみならず現実をも学んできた設計者の手に委ねるのが大切なのである。デイヴィド・ビリントンが忠告しているように、「二十世紀後半の技術者はすべからく、コンピューターをよく理解していなければならないし、設計者はすべからく、自分たちの基礎である構造物の経験に代えてコンピューターに頼ることのないようにしなければならない」(60ページ)

「目と指――何もはめていない指だ――は、技術者が扱わなければならないあらゆる材料と作業についての信頼できる知識を得るための、二つの主たる取入れ口なのである。それゆえ、私は、手袋をはめたがる若い技術者を信用しない。手袋、とりわけ仔羊革の手袋は、技能の知識の完全な不導体ですらある」。(73ページ)

創造性を誘発するのに、設計者にとって一連のテクニック(中身は空だ)よりも大切なのは、現行の実際のやり方と製品についての知識、そして、技術プロジェクトや工業プラントの現場での観察を通じて得られた、直接の体験に基づく知識と洞察を蓄積していくことである。(85ページ)

「理論的な計算はめったにできるものではなく」、「理論についてのあらゆる話にもかかわらず、それらの方法は本質的に経験的なものである」(197ページ)

技術者は、技術分野でのほとんどすべての失敗が、誤った計算よりも誤った判断の結果であることを常に思い起こさねばならない。(242ページ)

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by kan-net | 2012-04-09 01:32 | 読書