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東北旅行記録 写真
写真を載せます。
Picasaのアルバム(MixiとFacebookも)には無秩序にたくさん載せるので、
もう少し見ようかなと思ってくださった方はそちらをご覧ください。

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1日目(7月25日)視察

気仙沼。

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気仙沼。

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気仙沼。

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気仙沼。

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気仙沼向洋高等学校。

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気仙沼~南三陸の間。橋桁がない。

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南三陸。

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南三陸。

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南三陸。

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2日目(7月26日)気仙沼ボランティア

気仙沼ボランティアセンター。

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唐桑地区。

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ボランティアさせていただいたお宅。

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大漁旗。かっこいい。

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3日目(7月27日)一関周辺観光

厳美渓。

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厳美渓。空飛ぶ団子。

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厳美渓。空飛んでいる団子。

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達谷窟。

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平泉。中尊寺。

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平泉。弁慶どの。Do-Nothing Case。

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平泉。弁慶どの。With Project Case。

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平泉。毛越寺。

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平泉。わんこそば。

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以上。
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by kan-net | 2011-07-31 15:05 | 勉強・見学
東北旅行記録 その3/了
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めかねながら書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その3
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2011.7.27 16:50 東京へ戻る新幹線にて

2日目は気仙沼ボランティアセンターを訪ねて気仙沼でボランティアに参加した。個人参加している人がけっこういるようだったが、中にはハワイ?からのボランティア学生集団や、他県からのボランティア団体なども見られた。

参加にあたってホームページを調べていると、長靴やゴム手袋、ボランティア保険への加入などが必要だと書かれていて、参加できないかもしれないと心配していたが、実は用意がなくてもすんなりと参加できた。必要なのは健康な身体一つだった。責任ある行動のとれる人であれば誰でもいつでも参加できるのだという感じ。考えてもみれば、責任ある行動さえできるのであればモノの用意がなくてもボランティアへの参加資格は既にあって、そこで指定のモノがないことでボランティア団体に迷惑がかかるのではとか、足手まといになるのではとかいう懸念は、たいていの場合にお門違いなんだろう。ボランティア団体にちょっとくらい迷惑をかけるとしても、被災地・被災者のために行動をすることのほうが大事。といってあまりに不準備で参加を断られたら、そのときには帰ればよい。漠然と抱いていた「ボランティア参加への壁」は、思い込みだった感じ。この誤解がなければもっと早く来られたかもしれないのだが。

活動場所は市内の唐桑地区というところだった。自衛隊から提供されたテントの組み立てと、家屋の清掃・ゴミ出しを行った。チームは男6人、女2人の8人体制で、あと家屋清掃のお宅ではRQという東京の団体の方が4人来られていた。唐桑地区は平野部が狭く、すぐ後ろが高台になっていた。少し上れば、きっと逃げ切れた。みんな逃げていてほしいと着いた瞬間に思った。

午前中のテント設営では、大工だったおじさんの倉庫として使うためにということだったのだが、作業開始当初にその目的を知らされておらず、テントが汚れてしまったときにはとても慌てた。というか、おじさんが依頼主の被災者であることをしっかり認識しないまま作業をしてしまったりと、たいへん申し訳ないことをした。

昼からの家屋清掃は、また違うお宅だったのだが、こちらではゴミ出しをした。でも、ゴミなんて元々はなかったのだ。立派なお宅で、たくさんの布団や洋服があったが、みんな棄てた。ゴミの山の中に、息子さんだろうか、結婚記念の写真があった。おばあさんに聞くと、もういらないって。本人たちのところにあるから、と言った気がした。うまく聞き取れなかったのだけど。でも、たとえそうでも、とても気が引けた。記念写真だなんて、そんな、ボランティア体験談でよくありそうな、そんなものが目の前に落ちていて、それを棄てることになるとは、思いも寄らなかった。でもまさにそうしたことが、日々、まだ続いている。まだ唐桑地区にはぐしゃぐしゃに壊れた自動車だって回収されないまま放置されている。それが、衝撃だった。地震発生から、137日目。

お昼の休憩時、気仙沼ボランティアセンターからの8人で昼食をとった。そこで初めて知ったことに、8人のうち3人が、気仙沼の被災者だった。身内の方の家が流された話、思い出の地が何もない更地になった話、命からがら工場の屋上に避難して、周囲で火の手が上がるのを見ながら、流されてきた船が工場に突撃してきたらと不安でいっぱいだった話。自分だったら話せるだろうか。話すしかないのかもしれない。何食わぬ顔で一緒にボランティア活動をしているけど、想像できないような心境で、またはそうした心境をへて、今こうしてここで活動しているんだ、と。それでどう、とも言えないけど、そう思った。

RQの方も含めて2人、無職の方がいた。2人ともとてもよく働いていた。聞くと、ボランティア活動をしてもう長いらしい。ボランティア参加者については批判的なものを含めて様々な議論があるように思うが、長く継続して動けるボランティアはやはりとても大切だし、彼らの様子を見ていて、ああ立派なことだなと思った。長くいる人がボランティア活動チームの核になって、自分のような単発の参加者が手足となって働く。

ボランティアの活動時間は夕刻3時までとなっていた。健康管理は重要だし、継続が必要とされる話なのだ。それで帰るというとき、おばあちゃんと奥さんが以前まで営んでいた寮の大漁旗を見せてくれた。たくさんあるから欲しけりゃもっていきなって。もらわなかったけど、かっこいい旗だったな。今度やっぱりもらいに行こうかな。それからおばあちゃん、街が賑やかになったらまた遊びにおいでね、ありがとうねって言ってた。そうだよね。こういう言葉も、なんだかボランティア体験記によくありそうだけど、なんでそんなよくありそうなことを言うのか、おばあちゃんを見てわかった気がする。たぶん、やっぱり寂しいんだと思う。いろいろなものが、悉く壊され、流されて、仕事もご近所さんもない。でも何とか生きていかなきゃって、そう思ってボランティアに支援要請をしたんじゃないかと、勝手な想像だけど、思う。そうしたら12人もの人が来て、やること自体は悲しい掃除やゴミ出しだけど、でもその場所で人の声がして、会話して、動きがあることって、ちょっと嬉しかったんじゃないかと思う。でもみんな帰ってしまう。また動きも音もなくなってしまう。そういうのって、きっとすごく寂しくて、だから、行ってしまうことはわかっていても、また戻ってきてほしいと願われたのだと思う。

もう一度、いや今後何度でも、東北に足を運ぼうと思う。もちろん無理のない範囲でではあるが。例えば年内は未だ初期的な段階の、今回のようなボランティアの手が必要とされ続けるのではないかと思う。本当は、国が本気で動けば、こんなに長く初期的なボランティア活動が必要ということにはなり得ないと思うのだけど。まあでもそれを言っても始まらない、もし現実にその必要があるのであれば、僕も時間のあるときにはまた参加しよう。そうやって参加して足を運んでいれば、次の段階で求められる活動も見えてきて、来年も足を運ぶ口実が見つかるだろう。それを続けていけば良い。

ネタがなくなったら観光に専念したって良い。一緒に活動した被災者のボランティアの方が言っていたのは、観光も立派なボランティアだって。だからもっとたくさんの人に観光に来てほしいって。やっぱり、人がいる、そこに人がいるっていうこと自体が、元気や活力の源になるんだと思うし、観光をすれば具体的にお金を落とすことにだってなるわけだし、本当に良いことだと思う。だからいろんな手を使って、東北にまた行こう。そう決めたし、周りの人にも、一度でも何度でも、どんな目的でも、東北に足を運んでもらえたらいいなと思う。

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以上で、手記の記録終わり。

なお3日目は一関周辺の観光地である、
厳美渓と平泉を観光した。
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by kan-net | 2011-07-31 02:34 | 勉強・見学
東北旅行記録 その2
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めかねながら書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その2
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2011.7.26 一関 厳美渓となりの旅館にて

2日間、東北の被災地をいくつか見て回った。まず1日目はけんさくの運転で、気仙沼から南三陸を見た。けんさくには感謝している。

気仙沼で海が近づくにつれて、崩れかけた家屋の数が次第に増えて緊張感が高まった。海まで到達し、目に入ったのは、窓ガラスから内装までぶち抜かれて骨組みだけ残された建物、撤去も既に済んだのだと思われる更地、2回の高さなのにひしゃげた看板や街灯。地盤沈下の影響で、がたがたになった道路、海水の抜けない部分も。でも実は少し海から離れると高台があって、そこの家屋は見たところほぼ無事。海から数百メートル?離れたところなら意外とそこも無事だったりして。力学的には、そこには理由があるのだろうけど、でもどうして、ここに住んでいた人たちの暮らしがこんなにも破壊されねばならないのだろう、と思ってしまった。土木の観点からは、なぜココは飲まれてココは飲まれなかったのかを、いちいち科学的に解明し理解する必要があると思う。

けんさくと合流してから、その近場の別の漁港へ連れて行ってもらった。家庭にあったのであろう、小物入れのかごや、子供のものらしい小さな靴が落ちていた。普通の、普段の生活を送っていただけなのに、本当に思いも寄らないことが、突然、身の上に降りかかったのだと思うと、その悲しさや無念さは計り知れない。近くで、重機による撤去作業が進んでいた。ゴミになるはずのなかったものが、次々と処分されていく。今となれば、もちろんその作業は必要なのだけど。

車で走ると、最初に見た様子よりもよりひどく、広く被害を受けた地域を目にすることになった。気仙沼向洋高校は、3階までぶち抜かれていた。橋桁が流失した鉄道橋跡もあった。駅舎は丸々なくなっていた。しかし中でも、このように書いて被災の事実に大小をつけたくはないが、しかし中でも南三陸の様子が衝撃的だった。見渡す限りの、平地。逃げようにも、高台なんてすぐにはなかったんじゃないかと思う。津波は数キロ先まで入り込んだんだろう、破壊された家屋が内陸のほうまでずっと続いていた。海から迫ってくる津波を想像しただけでも、本当に心底おそろしい。今となっては寂静としている海を見て、ホテルへの帰り道、海のことが本当に憎たらしくてたまらなかった。

しかしそれにしても、恐ろしい威力だと改めて、いや初めて知った。こんなにも高く、激しく、とめどなく襲ってくる津波に対して、何ができるというのだろう。土木技術者うんぬんと意気込んで見に行ったけど、これはもう、この破壊力は、想像の粋をまさに超えていて、これを抑えこむことなどやはりできないのではないかという思いがよぎる。でも、それが土木技術者としての答えにまったくなっていないことを知る。自分は、土木はやはりハードで社会を守り導くべきであって、ソフトはあくまで補足としての手段であると思っているのだけど、今回のような強力な津波はハードで抑えこむことが難しいと認めるとしても、土木はそれでも最大限に被害を食い止める、または遅延させるハードを目指し続けるべきだし、それを補う手法としてのソフトも拡充していき、やはり命を守り抜く、確固たる役割を果たしていかなくてはならない。例えば今回、ものによるけども鉄筋コンクリートの建物のなかには、津波によって内装が持っていかれていても、構造としては耐え抜いたものがある。話に聞くとそうした建物の屋上にて難を逃れた人が実際にいるのだ。こうした鉄筋コンクリートの建築物の配置計画、民間ビル等も含めた有効活用とか。景観との兼ね合いその他いろいろ難しいにしても、今回の教訓を学び取って、現実に活かしていくことが何よりも大切だ。

(ここでいったん眠る。7月27日朝、つづき。)

もしも今回と同じような地震と津波が東海・東南海を襲ったとたら。いや例えばもし土木技術者の時間が震災前に戻せるとしたら、どこまで戻って何をするべきなのだろうか。それを整理しておかなくてはならない。震災発生の直前に戻るのだったら、荷物をまとめて逃げるように呼びかける。これは土木技術者じゃなくても同じことだ。では、もっと戻ったとしたら、防波堤の強化、耐震・対津波構造の研究開発と普及、震災探知・予測の精緻化、土地利用の制限と徹底、避難経路の整理。これで十分?なにか、抜本的に異なる視点からの発明が必要に思う。津波を抑えこむ何か。それがないと、結局は荷物をまとめて逃げてもらうことになってしまって、きっとそれでは全ての命を守りぬくことはできなくて、それは土木技術者として負けということなんじゃないかと思う。

僕は津波対策・地震対策の道に行きたいのだろうか。大学時代に力学は大の苦手だったが、やればできると思うし、そういう方向転換は実際あっても良いと思う。今回の訪問で得られたアイデアだ。

以上、1日目の所感。
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by kan-net | 2011-07-31 01:46 | 勉強・見学
東北旅行記録 その1
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めずに書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その1
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2011.7.25 12:30 一関~気仙沼移動中 大船渡線にて

東北に来ている。けんさくの東北出張にあわせて、ようやく出てきた。震災の発生直後から来ようと思っていたが、4ヵ月半が過ぎてしまった。

どうも遅くなってしまった。覚悟が定まらなかったのかもしれない。ヨルダンで、休日、観光に出ているときにニュースを受けた。信じがたく破壊された町の映像と、アラビア語の解説文字が映し出されているのを、全く実感なく眺めた。ああそうか、今気付けば、僕は日本の映像メディアを通して震災の様子を見たことが殆どないんだ。それで、もしかしたら、なにやら恐ろしく信じたいことができたという意識を、断片的な情報からむやみに全体化しているだけなのかもしれない。なんて、そうであってくれれば良いけど。現実がどうなっているかは、今から目にするんだ。これもまた断片的であるとはいえ。

しかし今から僕は何を見るのだろうか。破壊されてしまった町を見るかもしれない。ひとつひとつの家、家族の跡を見るかもしれない。それを見るのは、つらいし、こわいと思う。さっきの覚悟というのは、それを見る覚悟がなかったんじゃないかと思ったのだけど、じゃあ今ならあるかというと、まだないような気もする。でもとりあえず僕は今ここに来て、そこに向かっている。

東北に来たことの意味。ひとつには、自分自身としての整理というのがある。先に書いたとおり、あまりにも実感のない、それでいて大変な信じがたい出来事が、自分の生まれ育った国で起きたということ。適当な表現が見つからないが、スマトラやチリの時には、ここまでの心の不安定さには、正直ならなかった。今回は、どうしても、もやもやした部分がある。いったい何がどうなっているのか。それを、自分自身として少しでも理解したい。整理したい。

もうひとつには、土木技術者としての、当然の使命として。今回、「想定外」の規模の「未曾有」の災害が日本を襲ったわけだが、土木技術者としては、何があっても人の命、暮らしは守らなければならないと思う。だから、いくら「未曾有」でも、今回こうして多くの犠牲者の方をだしたことは、土木の敗退なんじゃないかと思う。この負けの現場を目に焼き付けて、これから先、人の命を守り通すという決意の光景にしたい。

気仙沼駅に着いた。けんさくを待つあいだ、駅前コーヒーショップで続きを書く。

先の書きぶりの補足。自分はこの先ずっと土木技術職を続けると考えているわけではないが、この先ずっと土木技術者でありたいと思っている。そういえるほどの技術力も知恵も知識もない現状ではあるが、思想については自分なりに育んできたつもりでいる。土木技術者というあり方が、今後どのような職についたとしても自分のベースになると思っているので、この地で見ること、感じることを自身の記憶として自分の中に植えつけたいと思う。

けんさくはまだしばらく仕事が続くようだ。

この四月、エルサルバドルで要人とお会いした際、日本が大変な状況となっている今、海外援助をしている場合なのかという話がふと持ち上がった。どうなんだろうか。日本にも海外にも、昔も今もこの先も、程度は違えど困っている人はずっといるのだと思う。だからその困窮を解消するための取り組みは時と場所を問わず常に行われるべき。ただそのためのお金が税金をもとにしているということ。それを踏まえたバランス、配分が難しい。直感として、この災害が起きてまず、海外援助をすぐにでも削って国内に充てたらどうかと思った。

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ここでコーヒーショップを出る。

気仙沼港

南三陸

一関のホテルに宿泊し、1日目は終了。
手記に追記なし。
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by kan-net | 2011-07-31 01:09 | 勉強・見学
乾燥機が止まるまで
今日は久々に早く帰ったので、洗濯をした。
洗濯物のうちタオル類については、干さずに乾燥機にかける扱いとした。
だから、乾燥機が止まるまで起きているので、
おもむろにブログを書こうと思った。

自宅のパソコンでブログを書くことなんて、どのくらいぶりだろう。
そもそも自宅のパソコンを開いたこと自体、記録によると2010年8月4日以来のようだ。
つまり、ほぼ1年ぶりだ。
せっかくなら、1年経ってから開いたほうが、感激もひとしおだったろうに、
これではひとしおには値しない。

乾燥機はあと30分くらいで止まるだろうか。
いやはやそれにしても、洗濯機だの乾燥機だの、世の中便利なものですね。
他方、僕がこのところ出張時に欠かさず持っていくのは洗濯板なのですから。

便利さや効率性ばかりを追求して、現代人は大切な何かを見失っているよ!
たとえば洗濯板とか!

あ、窓の外に下弦の月が見える。

エルサルバドルでは零れ落ちてきそうな星空を見上げていたものだ。
そして目線を戻すと無数の蛍の群れ。
仕事がたいへんと思うこともあるけど、
そんな空間へ行けることなんかは単純にお得だと思ったりもするね。

しかし今夜の月もなかなかきれいだ。
賑やかでも簡素でも、いいものはいい。

そして思ったより早く乾燥機が止まった。
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by kan-net | 2011-07-21 23:49 | 何気ない
短期出張もう終盤
エルサルバドルにいます。

今回は短期出張で、たったの15日間。
そのうち3日間は移動日に充てられるので、
実質的な現地での作業日は12日間。

あっという間に残りの現地作業日は2日間(水木)になってしまった。
時差ぼけと戦い、現地踏査で草むらと戦い、すったもんでいたら、
残り2日間。

あーりゃまっ

やり残しを作らないように、ちと頑張らねば。ちとまずいです。




そんなわけですからブログトップの画像を変更しました。
サンミゲル現地踏査で撮った写真。
この木、何の木。

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by kan-net | 2011-07-13 15:26 | 仕事