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山中湖合宿 ~夢を架けるアーチ橋~
9月26日から29日まで3泊4日で、山梨県は山中湖村の東京大学山中寮にて、
社会基盤学科で唯一の必修科目「フィールド演習」に参加。
演習内容は、
「7名程度の8グループに分かれ、
 60cm×90cmの工作用段ボール50枚、木工用ボンド、麻糸200mを使って
 横幅200cm高さ60cmの空間を確保(つまりその大きさの船が通過可能)した
 橋を架けよ。評価基準は中央に荷重を架けて空間の確保、
 作成した橋の重量(軽い方が良い)と耐荷重(80kg以上で、80kgに近い方が良い)
 から立てられる評価式の得点、そして独創性。」

「は?」と。
「な…なんで?なんで山中湖で?」と。

そんな疑問を持ってはいけない。
この世の全てが理論だと思ったら大間違いなのだ。
エンジョイすること。それが至上の命題。

じゃんけん一人勝ちのKなこを隊長にまず橋の基本的な形を考える。
各人しばらく考えて提示しあった結果、隊長のアーチ橋が群を抜いて目立った。
「おもしろそう」で決まり。
その夜に方針を発表し、他の班とあまりにも異なる発想のアーチ橋、
ものすごい注目を集めてもう後には退けなくなった。

アーチはアーチで良いのだが、どう架ける?作戦会議は延々と続く。
パリの凱旋門のイメージで話は進んでいき、
それに向けてダンボールから部品を切り取っていたのだが、
3日目の朝、教員Uっちーのアドバイスを受けて方針を変更。
もっとちゃんと、アーチっぽいアーチにすることが決定。

簡単に説明すると、
三角形の大きさが一定値だけ異なる三角柱を大量に作成。
ダンボール平板の内側に小三角柱、外側に大三角柱を貼り付けたパーツを大量生産し、
それらをグオーッとつなぎ合わせていくと半円つまりアーチが完成するというもの。

e0001193_193549.jpgさぁ大変な話になった。
前日すでに切り取ってしまった
ダンボールを有効活用するためには
どのような大きさの部材をいくつ、どこから
(原寸ダンボール?加工ダンボール?)
調達することが望ましいのか。
ここで東大生らしくキモイ計算をしまくり、
結果、右図のような設計に決定。
ものすごい量の部材を生産した。

夜、ついにアーチ完成!!
でも、、あと12パーツ必要なはずなんだけど、、、あれ?
その嫌な予感が的中。
パーツの施工不備があってか、12パーツ少なくアーチが閉じてしまったため
アーチ全体が小さくなり、確保しなくてはならない空間が確保できなかったのである。

そう、我々は大事なことを忘れていた。
この世の全てが理論だと思ったら大間違いなのだ。
いくら計算上完璧な設計をしても、その実現が可能であるとは限らないのだ。

ここからはゴリ押しの世界。
間に板を挟んでみたり三角柱の位置を部分的に修正したり。
もはやアーチの形に拘ってなんかいられない、
とにかく空間を確保しないと完成品にならんのだ。

そして…
日付も替わって1時間ほど経ったころ、ついに空間の確保を達成!
巻き起こる歓喜の声、拍手。
さぁ立たせてみようぜっ!!

おおーーーーーッ!!
写真しゃしん!
おおーこりゃすごい。
ほらみんなでさ、ほら!写真とろうよ!

ばちっ べきべきっ

…あれ?
わああーーーーーッ!!

歓声を聞きつけて他班のメンバーが駆けつける。そして祝福のコメント。
「いやぁ、すごい、よくやったよね。むしろこれ強すぎて壊れないんじゃない?」
しかし初めて自分の足で立ったアーチ橋の姿を見た僕たちは感無量で何とも言えない。
「ま、俺たちの優勝は決まりだな。あとは完成の余韻に浸るから、さぁ、帰って帰って。」

追い返し、せっせと補修。
この目にしっかりと焼き付けた、生まれたての馬のごとく自重に押しつぶされそうな橋。
…いや、きっと明日には成長して立派な姿を見せてくれる!
そう信じて、せっせと補修。

深夜2時ごろに全ての作業を終了。
e0001193_1591752.jpg一通り完成を祝して、
遊び写真を何枚か撮り、杯を交えた。
ついでに名前をつけてやった。
重力に対してみせる柔軟性と、
部材固定に多用された豊富な麻糸から、
「ペンてる豊」
これが彼の名前である。

そして迎えた4日目、試験の日。
前日の反省を活かし、アンカーを使ってアーチを少しでもアーチ型で支える処理を施す。
e0001193_13832.jpg


試験結果。
 耐荷重は10kg(10kgでは耐えたが20kgを載せて破壊)
 橋の重量は20.0kg

全8グループの中で上記二項目から求める評価点は最低だった。
結局のところアーチ型をうまく形成できなかったペンてる豊の強度は
ほとんど麻糸にかかっていたのだった。
載荷重と自重によるテンションで麻糸が切れて、ペンてる豊は倒れた。


しかし僕たちの中でペンてる豊は今もなお生きている。
4日間という短い間だったが、毎日試行錯誤し、毎日ちまちま作業し、毎晩酒を飲み、
理論ではなく、理屈ではなく、山中湖に行って楽しい時を過ごすことができた。
理論ではなく、理屈ではなく、ペンてる豊は最高の、夢を架けるアーチ橋だった。
ありがとう、豊。
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by kan-net | 2005-09-26 13:00 | 学業
9・19ミーティング
SC終了後、初めてのADYFミーティングが行われた。
その呼びかけ人は僕。
これまでは新旧の差がどうしても色濃くて、
そのことが幾つもの問題を生み出してるっていう意識があったから、
これは新メンバーである僕がいくしかなかろう!と思って。
で、話し合った内容なんだけど、それについては、、、

今回のミーテは数日前からいろんな人が「何を話すべきか」を真剣に考えていて、
MLも何通も回っていた。
だから司会者としてはそれらを見極めてミーテの流れをイメージしておくべきだったんだけど、
そのほとんどが大切に見えて、しかもじっくりと考察する時間もとれず、
結局はAgendaをしっかり定められないまま時間が来て始まってしまった、という感じで、
非常に反省。自分にガッカリ。

結果オーライだったと思うのは、本当に流れに委ねた話し合いだったから
みんなが気軽に言いたいことを言えたんじゃないかなってこと。
いや、最初の方はなんかSCの悪かったところをドンヨリしながら話す感じで
やばい!最悪や!!て思ってたんだけど、
SC不参加者の山Dが良いこと言ってくれた後に空気が改善され、すごく助けられた。
山Dありがとう!!

あと、自然な流れのなかで議論の主題が
ADYFで何を得たいか、ADYFは何を目指すか
に行き着いたのは、正に今こそ根本を据え直すべき時なんだなってことを
改めて実感させられた出来事だった。


さてミーティングは12時の昼食から始まって16時半に一通り終わり。
メンバーを入れ替えつつ飲み会に移行。
ベトナム料理、ベトナム酒で数日前の思い出に浸って盛り上がる。
それからさらに6人残り、二次会へ。でもこの時まだ21時とかそこらへん。
変な名前のカクテルを中心に飲む。
その終盤あたりでSんごが帰り、残った5人はKん・S子・Aっこ・Sん・山D。
そして終電を残したままカラオケオールに突入!!

ここでも光る才能を感じさせたのは山D。ずるいほどにカラオケをよく知っている。
赤鬼と青鬼のタンゴとか普通に出せる技じゃないだろ。
まだまだ勉強不足だなぁと感じたのだった。
次のカラオケまでにはネタを貯めこんでおかないと!

なおこのカラオケで僕はついにリバーシブルな男へと一歩成長を遂げたことも付記しておく。
心配してくれたみんな、特にAっこには感謝してます。ありがとう。
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by kan-net | 2005-09-19 12:00 | サークル
多治見市ローカルマニフェスト・ヒアリング調査
2005年初頭から始まっていたマニフェストゼミの集大成、
多治見市ローカルマニフェストのヒアリング調査が行われた。
僕自身は朝から高速バス(富山→名古屋)、JR(名古屋→多治見)を乗り継いで、
東京から出てきたゼミメンバーと現地集合し、多治見市役所に乗り込んだのであった。

このマニフェストゼミ
現代の政治が有権者を置き去りにしていることに注目、
有権者と政治を結び付けるには適切な選挙が行われねばならない、
そのためには候補者がこれまでのような口先だけの"wish list"のような公約ではなく
「何ができて何ができない。何をどうやっていつまでにする。」を記したマニフェスト
これから必要になってくるという意識のもと、
現代政治の問題点、マニフェストの評価などを勉強してきた。
5月には自民党国家戦略本部事務総長へインタビューしに行ったことも。

この日は市長の応接室に通していただき、まず企画課の職員の方々としばし議論。
それから遅れて市長が到着され、さらに議論を続けた。
終盤はゼミで見つけていた幾つかの疑問点について質疑応答。
13時から始まったヒアリングは17時半まで続いた。

感想。
マニフェストではなく総合計画が行政の根本になっている。というのが
ヒアリングで伺ったことの肝だったと思うが、
それで果たして良いのか、いや、確かにその事情もよくわかるのだが
明確な形で市民の目に触れ、採決を受けるのは選挙だと僕は考えているので
ちょっと腑に落ちないような感覚を覚えたヒアリングだった。

多治見市公式ホームページ
マニフェスト
第5次総合計画

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なおこの日の夜、イギリスへ留学直前のADYFメンバーMさよを送り出すため
東京・本郷で壮行会が催されていた。となれば。
行くっきゃない!!
多治見滞在は約5時間で終わり、速攻で東京へ向かった。

Mさよ壮行会は十数名で行われ、女の子から少しずつ帰宅していったのだが、
男衆の注文した日本酒が出てきた瞬間に主役のMさよが帰ってしまうという
ちょっとナイ展開になってしまった。
しかし懲りずに飲み続け、男衆は全員終電を見送り、
全員で駒込まで歩いて我が家に収容したのであった。
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by kan-net | 2005-09-13 13:00 | 学業
第44回総選挙
2005年9月11日、第44回総選挙の投票日。
この選挙は僕に投票権の与えられた初めての選挙であった。
投票率は67%程度になる見込み。
前回が戦後2番目に低い59.86%というから良いことと思う。

なぜ今回の選挙で投票率がこれだけ向上したかというと、
対立構造というものが非常に単純化して示されたためであると思う。
特に自民党は敵を作ることに躍起になった。
結局のところハッキリと口を開いて国民の耳にメッセージを伝えていたのは自民党のみ。
「もっと他のことも気にすべき」とモゴモゴした声で叫び続ける他党には、
その類の声がこれまで如何に国民を裏切ってきたかの認識が足りなかったのだろう。
マニフェストも、まだ日本国民には浸透していない。
郵政民営化だけを前面に押し出す自民党がなんとわかりやすいことか。
自民が勝てば郵政民営化が実行されることは自明である。せざるを得ない。
なんだかよくわからないけど、何かが動く。という期待感。
今回の選挙は自民党の一人相撲だったように思える。
郵政民営化がもたらすものについてハッキリした自分の意見を持って
投票した人などほんの一握りに過ぎないだろう。

今回の選挙で自民党が勝ったことは非常に深い意味を持つ。
いよいよ自民党は郵政民営化を実行せざるを得ない。他はどうあれ、郵政民営化だけは。
つまり国民が自らの票によって政策を選んだということ。
そして自民がもしこれをしなければ国民は次の選挙で迷わず自民に制裁を下すことができる。
これこそ選挙が、国民が政治力を発揮する、真の民主主義であるように思う。

もちろんこれは真の民主主義の第一歩に過ぎなくて、
野党の言う通り政治は郵政民営化ばかりではない。
色々なことを全て隈なくカバーせねばならないのは当然である。
今回の選挙は単純化によって第一歩を順調に踏み出したものと言える。
これからは今の流れを絶つことなく、それこそ、
色々なことをカバーする政治が展開されてほしい。
(それこそがマニフェストなんだけど、まぁ、まだ知名度は低いなぁ)


明治23年の第1回衆議院議員総選挙の投票率は93.90%で
これは衆議院議員の選挙史上最高の数字だという。
それに比べて今回の67%は前回に比べ上がったとは言えまだまだ低い。
有権者の1/3が選挙権を放棄しているわけだから。
投票率の最高値、記録できるような社会になるといいなぁ。
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by kan-net | 2005-09-12 21:00 | 何気ない
帰国しました
ただいまー。

体調を崩すこともなく、物をなくすこともなく、
つまり何事もなく飄々と帰国しました。

明日以降、あまりにも中身の濃かったサマーキャンプ(SC)の報告を書く予定。
毎日がネタだらけなので書くのも大変そうだけど
自分用の回顧録でもあるから頑張って書こうと思う。

とりあえず簡単にこのSCの感想を記すと、
すごく楽しかった!!
というありきたりな言葉だけでなく、
今後の課題が明確になった!!
というこれまたありきたりな言葉になるだろう。そして、
行ってよかった
という究極ありきたり言葉が事実、最も適切に今の気持ちを表す言葉である。
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by kan-net | 2005-09-10 20:00 | サークル
第12日目(9月9日)
朝、一足先に帰国するS子さんを見送ってからゆったりと朝食をとり、
ぐずぐず荷物の整理とかした後で、
SCを通してとても世話になったVトハの家に招かれて行った。
そこでまたおいしい昼食をいただいた後、今回の最終訪問先へ向かう。

JICAへ。
日本人7人とベトナム人3人。
・山間部と中部地方の自然状態が不安定で、貧困の原因になっている
・一村一品運動が検討されている
・生産段階と販売段階、両方が必要だが販売段階は根付いていない
などなどなどなど。
とても親しみやすい方が対応してくださりベトナム人の3人が夢中になっていた。
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それからホテルすぐ近くのカフェに行って日越合同でのSC最後の顔合わせ。
今回のSCに深く絡んでくれた4人の越人と日本人全10人でおしゃべり。
なんでもない話から今後どうやって付き合っていくかのマジメな話まで
別にこう、テーマがあるでもなく、とにかく一緒に時間を過ごした。

でも実際こういう風に、別に何を話すでもないけど出国前ギリギリで会って話をする、
という行為のもつ意味って絶対に大きいに違いないと思う。
これまでを振り返る意味でも、これからを考える意味でも。

マイチョーの時(6日前)は
「ゆーあーえねみーっ!!(あんたは敵よ)」
とか言ってたCエちゃん(V)もお別れの時には
「しーゆーあげいん、かん(また会おうね、かん)」
なんてしおらしい言葉を手向けてくれて、別れを実感した。
別れの実感はそれ自体、出会いという事実を投影する。
あぁ自分はこの人たちと出会って共に楽しいときを過ごせたんだな、と、
もちろん別れの寂しさもあったけど、その時は、そんなことを思っていた。

別れを告げたらホテルにとんぼ返り、荷物を持ってH本さんの住むマンションへ。
夕食をいただき、お酒を飲みながら、なんともない会話をして、
またまた歌とか歌ってみたりして、SC最後の数時間をエンジョイ。
もう、このH本さんの暖かい受け入れっぷりにはずっと感謝していたけど
この最後の晩も本当にすばらしい時間を過ごせて、もう、つまり、感謝。しかなかった。
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ADYFメンバーを乗せた飛行機は夜中にノイバイ空港を離陸。
こうして12日間にわたるSCは幕を下ろしたのであった。

~~~連載 終わり~~~
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by kan-net | 2005-09-09 00:00 | サークル
第11日目(9月8日)
前夜も遅くまでプレゼンの準備をしていたが、準備とはギリギリまで終わらないもの。
この日も起きたら即、準備を再開した。
僕自身はAっこのプレゼン手伝いでパワポを作成。
人々があちらこちらへ走り回る、混沌とした状態。

昼過ぎ、日本大使館を訪問。
公使からお話を伺う。
日本人はみなフラフラになりながら気合を振り絞る。
・人間の質は日越に違いなし
・日本語を学ぶベトナム人がとても多くなってきている
・ベトナムはODA需要が上手なのでますます増加している
など。ありがとうございました。

さてその後はいよいよClosing Sessionの会場である
VJCC(Vietnam Japan Human Resource Cooperation Center)に移動。
机や椅子の配置、コンピュータの確認、マイクチェックなどしてベトナム人の到着を待つ。
と、ここで到着したのはなんとたくさんの高校生。
こないだ訪問したクラスの子が大挙してやってきたのであった。
あと大学生もぼちぼち集まってくれて、合計60人くらいとなった。

開式の言葉みたいなのがあった後、
VN学生が複数の大学から集まっているため各大学代表者より一言ずつもらい、
プレゼンテーションパートに移る。
さっき完成したばかりのパワポ。真新しいね。
AっこがSCの概要、Kとぅが企業家精神、Mえーんが日越フレンドシップ、
あとVN人でNャトハが日本留学についてプレゼン。
質問や意見も出て、それなりに活発で良い雰囲気だったと思う。
僕は後半の司会をさせてもらって、ちょっと緊張したけどノリだけでカバーして
なんとか無事終えることができて良かったと思う。
e0001193_1712394.jpg


このあとは場所を移動してFarewell Party(お別れ会)。
日越の若者が一堂に会して出会いを祝い別れを惜しんだ。
OぎSんH本のバンドが歌を歌い、
Tっちーが誕生日を祝われ、
Lんくん(VN)が女の子に囲まれた。
和やかで楽しい時間。ありがとうありがとう。しんかもん。

みんなと別れを告げてから日本人6人、ベトナム人4人でクラブに行く。
やっかましーの。すげーやっかましーの。
そんでボーイの兄ちゃんたちが怖ぇーの。
オレンジのつなぎ着たガタイの良いボウズたち。
ちょっとはしゃいでたら「おいっお前っ」てゆってズイッて来る。
こわかったー。
でも楽しかった。人生初クラブはハノイでした。

ホテルに戻ってからもハイテンションで話して、
思わずAっこS子の部屋で寝るという暴挙を犯しそうになりつつ
ちゃんとSんごの待つダブルベッドに帰って寝た。
こうしてベトナム最後の夜は過ぎていったのであった。
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by kan-net | 2005-09-08 00:00 | サークル
第10日(9月7日)
この日も訪問系の一日。
とれたアポが多すぎて、七つの訪問先があったため人数を分けて、
僕は五人で二つの企業と一つの機関を訪問した。

すごく遠くまで移動しなくてはならないということでまずは移動手段を確保することに。
8時間専属のドライバーを要請して。
来たのは。

グラサンの兄ちゃん。英語が今ひとつ通じましぇん。
そして目的地もわからないらしい。途中で道を尋ねながら時間に遅れて辿り着いた。

MAP(マチノオートパーツ)
大挙してベトナム進出したHONDA系のバイク主要部品会社の一つ。
印象に残ったことを記録しておくと
・単独でベトナムに進出するのはハイリスクで無理だった
・工場内の機材は日本の中古
・企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)に基づく活動
・日本人がいなくても持続していけるよう人材育成もしている
などなど。
遅れて行ったけど親切な対応をしてくれてありがたかった。
お昼ごはんも。おいしかった。

続いてHONDA
まさに分単位、ものすごく忙しそうなK池さんが対応してくださった。
・バイク王国、ベトナムに意気揚々と乗り込んだ
・中国のコピー車が蔓延してシェアが減る
・コピー車を防ぐための規制により生産総量が規制されHONDAの生産も一時止められた
・日本国の援護により生産環境は回復
というストーリーが印象に残った。
てか20分ほどしかお話を伺えなかったので他はあんまり話してない。いや話したけど。

それで一旦ホテルに戻る。
三人を降ろし、僕とMりは引き続き移動するはずだったのだが、
運ちゃん、契約時間切れを主張。
うーんまだ時間は残ってるはずなんだけど。。
あんなに遠くまで行くとは思わなかったんだよね。そうだよね、ごめんね。
ということで解放してあげて新しいタクシーを拾っていった。

JVC(Japan International Volunteer Center)
あるホテル(高級)の会議室を借りてベトナムでの活動について伺う。
・事務所は日本人2人とベトナム人6人で構成
・Face to Faceが基本
・提案と奨励をするのであって強要などはしない
・成果が本当に上がったかどうかを見極めるのは難しい
何とも典型的なNGOだなと感じた。
このときベトナム人5人と日本人7人での訪問だったが
ベトナム人たちが日本のNGOの存在を初めて知ったと言って
ものすごく興味を示していたのが印象的。

これにて本日の訪問はすべておしまい。
と、そこでJVCのインタビューに参加しなかった日越人がわらわら集まってきて、
日本人4人ほどがJVCスタッフとの食事に行き、
残った日越各7人の14人でホテルのロビーでSCの反省会が始まった。
準備からこれまでの間に日越双方の学生が感じてきた
やりやす(にく)さ、(不)満足感、(不)快感などを率直に一人一人話した。

翌日のことや今後の長期的なことについて解が出るわけではなかった。
だけどこうやって顔を向かい合わせて各人が意見を表明するという時間が
これまであまりにも少なすぎた。
ADYFばかりが主導権を握り、計画会議ももちろんADYF内のみ。
ベトナム人の率直な意見を聞けたことはとても意味のあることだったと思う。

これは実際に世界で展開される援助機関の活動にも通じるところがあると思う。
こうした経験を得ることができたのは非常にうれしく、
これを無駄にせず今後に繋げていかなくてはならないと思う。


さて、ホテルに戻りいよいよ翌日に迫ったClosing Sessionの細部計画を練る。
Closing Sessionには日越学生が一堂に会して、
いくつかのプレゼンについて意見を交換することになっていた。
ということで計画が練り終わったら早速プレゼンの用意に取り掛かった。
僕は司会だったので自分自身の用意はほとんどなく、みんなの手伝いをした。
そしてダブルベッドに男3人で、3時間ほど寝た。

ちなみに最後の写真で食ってるのはカエル。
e0001193_18125912.jpg

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by kan-net | 2005-09-07 00:00 | サークル
第9日(9月6日)
前日の午後は既述の通りHUFSに行ってたんだけど、
実はそのウラで他のメンバーは3つの企業を訪問して
いろいろアカデミックなお話を聞いたり土産をもらったりしてたらしい。
ということで、彼らから比べると僕はこの日に初めて、9日目にしてようやく、
ちょっとアカデミックな色をSCに注入することになる。

とは言え午前はそうでもない。表敬訪問チックなことをしてみた。
“CYDECO”(青年同盟)とかいう共産党傘下の学生組織の幹部にご面会なのだ。

・我々に言ってくれれば全越の大学生に連絡できるのだよ。
・我々は新聞を刊行しているから、その新聞に“ADYF”と書けば君たちは
 すぐに全越の学生に知れ渡り、行く先々で自己紹介をしなくても良くなるんだよ。
・まま、青年同盟のバッジをあげよう。
・我々とあなた方で協力し合っていこうじゃありませんか。
・ところで全越の学生サッカー大会に出てみませんか?来年。

おおっ。もはや恐怖。
なぜ恐怖か。それは共産党傘下の臭いがぷんぷんするから。

ご存知、ベトナム社会主義共和国は共産党一党支配による社会主義国。
共産党の力は圧倒的で、反抗的な姿勢を見せることは身の危険につながる。
CYDECOも共産党の傘下で、「学生を統制する」と言っても本来の目的は学生の監視。
つまり、政治にも関心を持つ我々が彼らと手を組むことは
政治的な保護下に置かれるとともに監視下に置かれ、
活動が安全に制約される可能性を示唆している。
火のないところに煙はたたないとは言うけど、僕らは火であるつもりはないけど、
もしそんな姿勢で監視される事態になればやりにくいわけだ。

てことで、この組織とはある程度のうまい距離を保って、
時には権力を利用しながら、しかし強い監視を受けないよう気を配りながら、
なんとなく付き合っていけたらいいと思う。今後ね。

さしあたり全越サッカー大会には出たい。


さて、午後。これが初のアカデミックパート。
日本通運のハノイ支店を日本人5人、ベトナム人2人で訪問。
ベトナムの物流事情の概要と日本通運ハノイ支店の営業概要について伺った。

貿易の基本である海運について、
・海の深さの都合で思い通りの物資輸送ができない
・香港がハブ港になっており、素材がすべて外注のベトナムはリスクが高い
・港から内陸部への積み替え作業が必要(これはどの国も同じだが)
などの短所があるため、陸路が期待される。
陸路の中でも道路については
・中越の国境でチェックと積み替え作業が必要で大渋滞
・ルートによっては途中でフェリーに乗り込まねばならない箇所もある
・路面が悪いので精密機械を運べない
一方で鉄道について
・中越のレール幅が異なるためレールは3本敷いて(国境で切り替える。うまい。)
・国境の税関で積み下ろし、チェックを受ける
僕なんかはまぁまぁ良い環境じゃないかと思ったけど、あまり使えないらしい。
ちなみに空路については
・運べる量が少ない(どこでも同じ)
・大型貨物輸送機の発着に必要な滑走路を持つ空港が少ない
など。大変だね。
今日、タイ、ラオス、ベトナムを結ぶ東西回廊は注目すべき存在。
カンボジア、中国、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムを巻き込む六カ国協定も然り。

などなど。非常に興味深かった。
途中、S子さんの方が詳しい部分とかあって面白かった。


日本通運を出てからはJFPPTオフィスに向かいH本さんと合流。
さらに何故かご家族も合流。優しくて明るいすばらしいご家族。
近場の料理店でピザ等をいただく。
うまい。

ホテルに戻りミーティングを終えたころにH本さんがホテルに来られて
5,6人集まってロビーで一時間ほど雑談。
H本さんはさすが国際機関で働く大人だけあって話されることに重みがあった。
これからも僕たちADYFを応援してくれるとのことで、すごくありがたく、
また同時に、これだけ期待してくださってるんだから、逆にこれに甘えず、
自分たち自身ますます頑張っていかねばならないな、と心を新たにした。
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by kan-net | 2005-09-06 00:00 | サークル
第8日目(9月5日)
マイチョーから帰った次の日さっそく、朝っぱらからイベントが。
高校訪問。
今回のSCを共にコーディネートしてくれたJVF-netメンバーであるVトハ(V)の母校で
始業式があり、そこに出席させてもらえるということで。(ベトナムは9月が新年度。)

これ、SC全体を見渡した中でもかなりインパクトの強いイベントだった。
ベトナムでは普通のことらしいんだけど、もやはそれは野外フェスティバル
音楽がズンチャズンチャと鳴り響き、ステージでは生徒たちが歌う、踊る。
女の子は白のアオザイ、男の子はシンプルな制服。
新入生が入場して沸き返る会場。響き渡る拍手と指笛。
そこはもう、まさに日本人には考えもよらない別世界だった。
(とは言え新入生を歓迎する勢いやステージの歌に聞き入る姿勢が
時を追ってみるみる減衰していく様は万国共通なのだと思った)

この場でADYFはステージに立ち、軽く挨拶と歌の披露をすることになっていた。
そこまで配慮してくれるVトハ、そして学校の行為に閉口好意に感謝していたのだが。
とりあえずベトナム人高校生にとって日本人が10人ほどひょっこり表れたのは
非常に刺激的なことだったようで、大変な歓声を浴びた。
Tっちーの日本語、Mりのベトナム語。恐ろしいほどの歓声。熱狂。
Kとぅがベトナム語のカンペをチラ見。会場爆発。
それからみんなで『島唄』を歌う。どぉぉぉーん。
続けてOぎSんが『からっぽ』を歌う。どっかぁぁぁーーーん。
と!!
ステージ下から一人の女の子がバラを渡しに乱入!
これを契機に数え切れないほどの女の子が乱入!!
OぎSんが大量の、他が数本のバラをもらうという事件が起き、
溢れんばかりの拍手と歓声を浴びながら呆気にとられた日本人たちはステージを降りた。

さて、このフェスティバルについてはまだ続きがある。むしろこっからメイン。
ステージでは再びチアリーディングや女の子ソロなどパフォーマンスが続く。
一方、少なからずテンションあがりながらもすることのない日本人。
他方、日本人という面白イベントが終わってちょっと退屈なベトナム人。
むむむ。
女の子のソロも終盤に差し掛かり、全体の集中力がかなり落ちていた。
これは…!
立ち上がった日本人が二人。K&U。その手にはバラ。

「どうぞ。お嬢さん。」

はい、どぉぉぉーん。
次の曲、また同じような盛り下がり具合。
行けっ!OぎSん!
はい、どぉぉぉーん。
次の曲。は。
おやおや?なんか男女ペアじゃないか。
Uえまる君、なんだかさ、じっとしていられないよね。
ガイジンサンの特権。女の子を奪取。
タンゴっちゅの?踊れるわけないけど。
のっとけ。とりあえず。e0001193_2341710.jpg
と。
曲が続く。なぜ2曲も…。明らかに登場が早すぎた…。
おおっと3曲目!!それはない!!
と。お助けマンTっちー登場。さすが!待ってた!!
結局4曲目もあったので、いやぁ、Tっちーのおかげ。もう少しで死ぬところだった。

さてフェスティバルの後は授業がある。
ひとつのクラスにお邪魔して、国際交流。まぁ、歌ったり、日本語教えたり。
最後には記念撮影して、サイン求められたりして、おさらば。
いやー楽しかったぞ高校生諸君。
ちゃんと勉強してエリートになってくれたまへ(ベトナム有数の名門校らしい)。


午後はSん・Yっこ・U○・Sんごと僕の5人で
HUFS(Hanoi University of Foreign Studies)を訪問。
目的は今後のADYFの活動に関心を持ってもらい
SCの残りプログラムを覗きに来てもらうこと。
日越の学生が意見を交換する機会はお互いにとってプラスになるはずだ。と。
大学の講義時間を割いてもらい、宣伝スピーチさせてもらった。
なおこの結果、それなり多くの学生を巻き込むことができたし、
また今後もADYFのカウンターパートとして活躍してくれそうな光る女の子Cぃ(V)を発掘。
Cぃとの出会いは本当に長く意味を持つだろう、大きな収穫だった。

e0001193_2375479.jpg夕食はみんなでステーキ。うまい。
そして疲れた身体にベトナムビール。効きます。
ベトナムの高校生のハートを鷲掴みにした充実感に包まれながら、
また翌日のハードワークを思い、
この夜はぐっすり眠った。
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by kan-net | 2005-09-05 00:00 | サークル