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第3日目(8月31日)
ADYFシニアアドバイザーであるH本さんがプログラムマネージャである
JFPPT(JAPAN FUND FOR PUBLIC POLICY TRAINING)主催の
なんかものすごくでっかい会議に出席。
後ろの方で控えめに座ってただけなんだけど、
世銀とかADBとかなんたらかんたらすごい人がたくさんいたみたい。

英語とベトナム語での会議で、ヘッドホンから同時通訳の声が聞こえていた。
何を言っているのだかさっぱりわからないことがしばしばだったので
「へたくそや~へたくそや~」
と思っていたのだが、
「すごかったね、同時通訳。こんなすごい同時通訳なかなかいないよね」
と言われて閉口したという悲しい事実。

H本さんのおかげで招かれた我々であるが、これが最後まで同席を許され、
湖に張り出したプール付きのパーティー施設で生バイオリン四重奏を横耳にしながら
ワインを片手にディナーをむさぼる。
そして前日のセミナーにも参加させていただいたS部先生、そしてそのパートナーである
同じく著名な経済学者O塚先生と雑談に花を咲かせる。
世界に名を馳せる発見をするに到った経緯など面白い話を存分に聞かせていただき、
帰る頃にはその会場にいたのは先生お二人とADYFのみとなっていた。

"Genius is one persent inspiration and ninety-nine percent perspiration."
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」
これはトーマスエジソンの有名な言葉であるが、ここで少し考えてみよう。
かっこいい言葉を残そうとしたときに「99%の努力」は一息に思い浮かぶ。
さて、あと1%をどうするか。自分だったら何をあてはめるか?

両先生との話をするにつけても思ったのは、inspirationは真だな、ということ。
いくら努力しても、降りてくる感じは絶対に欠かせないのだと思った。
もちろん降りてくるかどうかは努力に依存するかもしれない、因果応報ってやつで。
ただ、とりあえずinspirationのあるところに成功が転がり込むのだと感じた。

せっせとinspiration育てないとね。


両先生との懇談会が終わった後はホテルに戻って話し合い。
内容は前日の夜に表面化した、新旧メンバーの溝、ADYFの運営について。
新メンバー参加者:Aっこ・Kとぅ・Mみ・Mり・Sんご・かん
旧メンバー参加者:Sん・Tかと・Sこ・Mみ

主催・司会は僕。ひとりひとり、なんでもいいからってんで、思ってることを話してもらった。
昼のうちに話し合いの告知はしてあったので各人考えを整理していたかと思うが、
新メンバーの多くから聞かれた声はほとんど自己反省だった。
「旧メンバーに任せ切りになり、何もできない自分が情けない」など。
もちろん自己反省は必要だけど、先に進むための足がかりになるものが少なかった。
ただ、初めから何らかの決定打を導出できるような話し合いになるとは思っていなかったので
全員が全員の声を聞いただけでも意味ある話し合いになったと思う。

遠慮なく意見を交わせる団体であるため積極的にコミュニケーションを図ることを確認。
また情報共有の欠如でSCスケジュールを誰も把握できていないため(状況は時々刻々変化)
毎晩必ず全員出席のもとでミーティングを行うことを確認した。

なお8月31日は準備期間の最終日だった。
翌日の夜にはTっちー・Oぎ・Mえーん・Mる・Yっこら第二陣が合流しSCメイン期間に入る。
話し合い自体とても意味のあるものだったと思うし、
それが何とか第二陣を迎える前に持てたことが良かったと思う。
メイン期間は訪問等で毎日が大慌てではあったものの、
コミュニケーション、情報共有ができていたからこそ乗り切れたに違いない。
8月30日夜、H本さんが3人を誘って話をしている時に新メンバーが不満を吐き出したのは、
SCメイン期間を無事乗り切るための、正にギリギリのタイミングでの出来事であった。
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by kan-net | 2005-08-31 00:00 | サークル
第2日目(8月30日)
朝はまず世銀の図書館に行ってポヨポヨして、
それから著名な経済学者であるS部先生のセミナーに参加。約2時間。
お昼はシニアアドバイザのH本さんにお会いして、おいしい昼食を奢っていただく。

e0001193_17151037.jpg午後はTかと・Kとぅ・Sんご・Aっこ・Yみと街歩き。
市場(写真)に行って、ネクタイとベトコン帽を購入。
どちらも日本では手に入らない代物。
そして日本では身につけられない代物。
市場を出た後は市街地ですすけた色のシャツとハーフパンツを購入。
これによってベトナム人完成!!
総額230,000VND≒1,600円

e0001193_1161824.jpg

実際ADYFの仲間であるYみに後姿をベトナム人と間違えられてみた。


ところでADYF、そしてこのSC(サマーキャンプ;以下“SC”)について説明を加えておく。
というのもこの夜からADYF、SCの根本的なところについての議論が
絶え間なく続くことになったからである。

ADYFは2004年4月に発足した学生団体。
正式名称は "Asian Development Youth Forum"
日本名では "アジア開発学生会議"
近年の成長目覚しくシニアアドバイザーH本さんの勤務先でもあるベトナムにフォーカスして
毎週火曜日に勉強会を開催している。
もともとは代表Tっちーら5人から始まり、
2004年6月ごろ?新歓で20人程度?の団体に拡大。
2004年夏、2005年春に二度のベトナム訪問を経てメンバー数は15人程度に収まった。
2005年5月、世銀のTDLCを利用してのビデオ会議(以下“VC”)を通して
二度目の新歓が行われ、メンバー数はおよそ35名に拡大。
ちなみに僕自身は新歓と無関係にTっちーと直接話をしていて6月から入っている。
なお2005年5月以降に加入したメンバーが「新メンバー」、
それ以前からのメンバーが「旧メンバー」として認識されている。
新メンバー加入後には"BriefingBook"と呼ばれるベトナム資料集を作成。
7月末には第二回目のVCを開催し、
そのまま今回のSCへと突入したのであった。

一読してわかる通り、6月以降のたった3ヶ月半程度でかなりのイベントが詰まっていた。
こうした状況が生み出したのは、新旧メンバーの溝。
新メンバーは旧メンバーの指示にただ付き従うしかなく、
旧メンバーは新メンバーの積極的な発言を期待するがそれも出てこないという状態。
しかも旧メンバーも適切な指示が出せないことが多々あったため
金魚のフン状態の新メンバーは振り回されて疲れてしまっていた。
十分なコミュニケーションをとれていればこうした問題も解消できていたかもしれないが
インカレ団体でもあり個々の都合があわせにくく、また、やはりあまりにも忙しすぎた。


この夜は旧メンバーのSん・Tかと・SこがH本さんと話すために夕食後早めに切り上げ、
新メンバー(+Yみ)の6人が取り残されるという新旧の溝を象徴するような場面があり、
いよいよ不満が新メンバーの口から溢れ出した。
陰口に過ぎないからということで程々に切り上げたのだが、
SCの残りの日程、そしてADYFの今後について誰もが安からぬ想いを抱えていたに違いない。

多量の金と時間をかけてまでつまらないことをしたいと思う人はいない。
ここまで問題が表面化したこともあり、僕は居ても立ってもいられなかった。
その深夜、旧メンバー3人が帰るのをホテルロビーで待ち、話を持ちかけた。
当然のことながら、もともと彼らも感じていた問題意識。
4人で1時間ほど話をして、翌日の夜、全員で話し合いをもつことに決めた。
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by kan-net | 2005-08-30 00:00 | サークル
第1日目(8月29日)
出国当日にも関わらず何故か荷造りが終わっておらず、
そのくせ朝から友達に会ったり大学に本を返しに行ったりして、
落ち着きの欠片もないまま出発した。
この慌しさ、全旅程の慌しさをすでに暗示していたようである。

さて、自分でも驚いたことに、最初のネタは行きの飛行機内で生まれた。
ベトナム航空とJALの共同運行便。スチュワーデスは皆日本人。
僕は欧米系の女性と隣り合わせて座っていたのだが、
「機内食はいかがなさいます…あっ! Beef or Chicken?」

おぉーーーっと早くもかーーー!
ベトナムに行ったら間違えられるかもよと言われたことはあったが、早くもかーーー!

「ち…ちきん」
「Do you want something to drink? Juice? Beer?」
「…じゅーす」

なぜだ、なぜなんだ。
考える暇も与えずJALの攻撃は続く。
出入国カードの非配布
食事を終えて寝ていたら出入国カードを置いといてくれなかったのだ。
二つ隣のおっさんは寝てても置かれてると言うのに、だ。

さてこれは困った。そろそろ日本人であることを明かすべきだろうか。
それともベトナム人のフリをし続けるべきだろうか。
出入国カードは入管でもらうこともできるから、何も機内でもらわなくても良い。
…様々なパターンを考えた結果、機内で、日本語で、カードを要求しておいた。
俺は日本人だ、と。覚えとけ、と。
だが…当然のことながら落ち着き払ったスチュワーデスの対応。むかっ。

ハノイはノイバイ空港に到着。
AっこSんごKとぅと合流して先発隊の待つホテルへタクシーで向かう。
このタクシー。ベトナムのタクシー。
左車線まで張り出してぐぉーん。(ベトナムは左ハンドル右通行)
しかも早っ。80km/hでカーブとか早っ。
ドライバーよ、もはやキミに怖いものはないか。そうか。
わかったから僕たちを生きたままホテルまで連れてってくれ。

日付が替わろうというときに無事ホテル着。
先発隊の仲間たちと合流してさっそくベトナムのビールを飲む。
味がちょっと不思議。最初はあんまり好きじゃない感じ。翌日には慣れたけど。

部屋はSんごKとぅとの3人部屋。1シングルベッドと1ダブルベッド。
もちろん僕はダブルベッド。Sんごと二人でダブルベッド。
かなり早い段階でわかったことだが、Sんごちゃんたらすごいんだから。
ゆっくり寝させてくれないのね。激しくてね。

てか狭ぇんだよ!!

こっち来んじゃねぇボケ!!

ま、こうしてベトナムサマーキャンプ2005は幕を開けたのでした。
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by kan-net | 2005-08-29 00:00 | サークル
出国前夜
おや。
気付いたら明日からベトナムじゃないか。

不意打ち。
いや、認識はしてたんだけど。
準備。全くしてなくて。
航空券と保険は手配済みなんだけど。

【準備その一:散髪】
長くなった髪の毛は普段から邪魔。
しかも今回は暑いベトナムに行くとあって、そんな髪の毛は不要である。
こうした条件が揃ったことで、何の迷いもなく散髪は決断された。

しかし、これは僕の長年の悩みなのだが、
「どんな感じにします?」
と理容師さんに聞かれてもこれといった答えが出せないのだ。
今回も、
「えぇ、まぁ、短くお願いします」
「どれくらい?」
「うーん、まぁ、短ければいいんです」
「自然に立つ感じで?」
「そうですね」
「半分以上切る感じで?」
「ええ」

短髪という条件さえ突きつけてしまえばもはや僕はイエスマンに徹する。
「そうですね」「はい」「ええ」「それで」が基本単語。絶対に欠かせない。
ただし今回はそれが度を過ぎたようで、
カットの間ずっと目を閉じてウツラウツラしてから、目を開けると。

みじっ

これは短い。セミの一生くらい短い。
どうやら上記の「半分以上切る」が利いてるんだな。何も考えてなかった。
ベトナムに行く直前になってこんな劇的カットをすることになるとは。
頭が軽く涼しくなったので良いのだが、ADYFの皆が僕を識別してくれるかは不安である。


【準備その二:荷造り(の前の整理整頓)】
荷造りと言ってもドラムバッグに衣服その他を詰めるだけなんだけど
今回の場合はそれすら困難を極める。
なぜなら。
足場が悪いのだ。
足元に散乱するプリント、本、ノートetc...
よくぞこれまでこの部屋で生息してきた!と自分を褒めてみる。
改めて日頃のメンテナンスの大切さを思い知った。
そして土木家の卵としての責任の重大さを痛感するとともに今後の…(略)

ということで清掃と整理整頓を行ったわけだが
かかるかかる。夕方から始めた作業が終わった時には21時を回っていた。
特に先学期のプリントが山のようにつもり積もっていて、整理し終わってみると
半年で1年生時の丸一年分よりも多くのプリントが用いられていたことが判明した。おおっ。
ちなみにその高さは施工計画報告書を越えるA4用紙18cm。

整理整頓をある程度のところで区切りつけて終わって、ようやく荷造りをできた。
昼間に洗濯した服たちが完全には乾いていないので
明日家を出る前に詰め込めば準備は完了だ。



何はともあれ明日からベトナム。
ベトナムでは現地大学生と行動をともにして、
いっしょに遊んだり議論したり政府系機関や企業やNGO団体や学校などを訪問したり、と
とても充実した滞在となる予定である。
7月からADYFみんなで準備に奔走してきた12泊13日の
長いようで短いようなベトナムサマーキャンプ。
精一杯楽しく意義深いものにしてきたいと思う。


よってこのブログもしばらくストップ。
ベトナムで暇を持て余したら書くかもしんないけど
そんなことをしてる暇があったらアオザイの女性を探してるはず。
9月10日の早朝に帰国します。それからまた駄文を書く予定。
皆様しばらくごきげんよう。

行ってきまーす


≪このブログを読んでくださってる皆様にお願い≫
しっかり各党マニフェストを読んで候補者の声を聞いて選挙に備えてください。
9月11日に都合のつかない人は期日前投票、遠隔地投票も利用してください。
国民が政治に対して真剣に向き合わないとますます政治は腐敗する。確実に。
投票は民主国家において最も強力な政治行為です。
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by kan-net | 2005-08-28 23:59 | サークル
インターン終了
14日間。これが僕の日本工営インターン日数である。
配属先は河川・水工部のダムグループ。
もともとの希望とは全く違った部署であった。
だけどとても充実した時間を過ごすことができた。
特に基本設計会議の資料編纂が圧巻。
前にも述べたが17cmもの報告書をドンッと目の前に置かれ、
その一部を要約する作業をさせていただいたのだが、
これが当インターンのハイライトだったと思う。
そんな細かいことまでちゃんと検証してるんだ!って。目からウロコの連続。
本当に短い間だったが、これまで全く知らなかった社会というものを
ほぉんのちょっとだけでも覗くことができ、とても良かった。


…というのが概観。

それはそれで良しとして、加えて今日の送別会のことを書いておきたい。

たった14日間にも関わらず歓迎会と送別会をしてくださったのだが、
今日の送別会では歓迎会とメンバーがガラッと替わって女性が3人来ていた。
僕は仕事時間には時折O田さんと話すくらいだったし
昼食を一緒に食べるにしても男性陣ばかりと行っていたので
あまり女性陣と話す機会がなかったのだが、
彼女たちが持ち味(?)を存分に発揮してすごく場を盛り上げてくれた。
あの部署に来ておもしろくなったのか、それとも元来おもしろいのか、
そんなことは知ったこっちゃないが、とにかく、
あの種のおもしろトークは最近身の周りで不足気味だったので、
久しぶりに大爆笑な時を過ごすことができた。
社会人、てかダムGの皆さん、おもしろい!すごく楽しかったです☆

3時間ほど飲んで解散したあとで本社に戻って、
M岡さんと合流して少人数で二次会。
社会に出ても大事なのは気持ちだ!!本当にそうだ!!
って話もあれば台風の交通麻痺がもたらした出張悲話なんかもあったりして、
いろいろ話してた。これまた楽しかった。


この14日間で、社会を学ぶという貴重な体験をするとともに、
ダムGの皆さんと出会うことができたというのは、大きな収穫だったと思う。
今夜の「送別会」は研修を終了して今後アルバイトとして僕を迎える「歓迎会」だ、
なんて話が出てたけど、条件が許せば本当またダムGにお邪魔させてもらいたいほどである。
…まぁ期間限定だからこそ良かったのかもしれないし、
実際また今後も忙しくてお邪魔してる暇なんてないような気もするが…。
(てか「お邪魔」って言うけど皆さんにとっては本当に「邪魔」だろうし。働かない奴は。)

でもやっぱりちょくちょく連絡して、ちょくちょく邪魔しちゃおうかなぁなんて思ってみたりしている。
とにかくダムGに行くことができてすごく良かったことは確か。
おかげで2005年8月は充実した1ヶ月になったと思っている。

14日間お世話になりました。ありがとうございました。
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by kan-net | 2005-08-26 23:47 | 学業
ダーラム同窓会
先日のベトナム人と交流した記事で、ちょこっと出た、
「ダーラム訪問」という言葉。
いちおうその言葉は富山市の友好姉妹都市ページへリンクさせておいたので
当時の僕のことをほとんど知らない人でも何か察しているかもしれないが、
今回あらためてダーラム関連の記事を書くことにする。

ダーラム市はアメリカ合衆国ノースカロライナ州の中心部に位置する
緑豊かで広々とした都市。
「薬学の都市」として通っているらしい。
それが「越中富山の薬売り」と通じるからか、富山市と友好姉妹都市の提携をしている。
僕は富山市立の18中学校から1人ずつ(大きい学校からは2人)選ばれた19人の中学3年生、
と引率の先生方5人を加えた全24人で構成される「親善訪問団」のうちの一団員として、
1999年秋、公費で8,9日間ほど渡米したのであった。

最初の2,3日でワシントンD.C.やフィラデルフィアを観光したら、いざダーラム市へ。
いちおう正式な訪問団ということで市長と面会してみたり学校を訪問してみたりして
事前に準備していた歌やら踊りやらを披露し披露され。
あとここでは団員それぞれが4日間ほどホームステイをした。
僕の場合、フリーの時間にはホストとサッカーしたりテニスしたり。
なんやかやしてるうちに泣きながら帰国しちゃった気がするなぁ。


今でも忘れはしないホストファミリー。
3兄弟のMギー、Bリット、Cリスは今ごろ3人とも絶対に美女、美男になってる。
間違いない。そーゆー顔立ち。
パパは相変わらずカリフォルニア州知事に似ているのだろうか。
ママは今も初めて会ったとき同様に自分で天井の補修とかしてるんだろうか。

そして忘れるはずのない訪問団の面々。
数回の事前研修とあわせても計30日と会っていないくらいだと思うけど
みんなすごく仲良しになって、すごく良い仲間になった。
しかし、もともと別々の中学校から集められた仲間だけに
高校で一緒になった人としか関係が持続しにくく、バラバラになってしまったのだった。

「あの仲間たちに会いたい!」
記録ビデオを見てそう思ったのは5年が過ぎた去年の夏。
だけどそれを自分が実現するには忙しすぎた。断念。
それからさらに1年。
同じ高校のT来が同じくビデオを見て連絡してきたのをきっかけに話は急展開を見せる。
自分にとっては1年越しの願いとあって、
また企画倒れにならないよう何とか時間をつくってネットワーク再生に奔走した。
そして、高校時代の友達からの多大な協力もあって、結果、
19人のネットワークはほんの10日そこそこで本日、再生したのである!!

こんなに素晴らしいことがあるだろうか。
ほぼ6年間ずっと会うこともメールすることもなかった19人の仲間たちが全員
ネット上でではあるが、再びつながりを取り戻したのである。
つい数時間前に新設した掲示板には今、思い思いの書き込みが続いている。
近いうちに同窓会をしよう。
その時には5人の先生方にも会えたらいいなぁ。
みんなどんな感じになってるんだろうか。とても楽しみである。

とは言え実は、いつか実現せねばと思っている最終目標は全く別にあるのだ。
それは、帰国直後に纏められた文集の中にある。
これまた数年越しになるのは確実だけど…自分の発言には責任を持たねばなるまい。
しかもみんな申し合わせたように同じこと書いてるんだよね。
てことでそん時は互いに道連れしようぜぃ☆

「いつかまたダーラム市に行きたい。」
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by kan-net | 2005-08-25 22:00 | 暮らし
祝!500アクセス!
2005年6月6日にGREEで書き始め、6月10日に本格始動したKanet。

ついに500アクセス達成!!

カウント開始から実に76日目、これが46つ目の記事となる。
書き始めは自分自身がカウントを踏んでしまっていたのでちょっと疑わしいが。

このKanet、どこにリンクをはるでもなく、なんとなぁく周りの人に
「気が向いたら見てください」
ってアドレス伝えたけど、バシバシ見てもらおうともあまり思えず、
のっそり。のったり。
とりあえず書くだけ書いてきたブログ。

最近また数人の友人にアドレスをお伝えしたので彼らが見てくれたのもあろうかと思うけど
このところ1日平均12,13のアクセスをいただいるのは
またたいへんうれしいこと。

ちなみにアイドル眞鍋かをりさんが書いているブログ、
眞鍋かをりのここだけの話
にある記事「ぱーきんぐ」は単独でトラックバック1153ついてる。
…すごっ。
そして確かにおもしろい記事を書いている。おそるべし眞鍋かをり。

さてこれから僕はどんな記事を書いていくのだろう。
Kanetスタートにあたってを見るに、
さほどテーマを持たず、オモシロ系かマジメ系かも定めることなく、
それなりの緊張感を維持しつつ、
のっそり。のったり。
書いていくのがこのKanetなのかなぁ。

とりあえず500アクセス達成ということで
うれしかったので、それに添えた記事にしてみた。


読んでくださってるみなさん、ありがとうございます。
これからも読まれるに値する記事を書けたらと思ってます。
またお時間ある時には気軽に読んでくださったらうれしいです。

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by kan-net | 2005-08-24 19:00 | あいさつ
日本・ベトナム学生交流会
財団法人 学生サポートセンター主催
独立行政法人 国際協力機構(JICA)東京国際センター後援

日本・ベトナム学生交流会
に参加してきた。
のだが、先にここへ辿り着くまでのストーリーを記さねばなるまい。

朝10時03分の「はくたか」に乗って富山を出発。
越後湯沢で乗り換え。たのだが。
新幹線「とき」自由席は満席。座れず。立ちっぱなし。
大宮でやっと座れた。きつかったぁ。
東京に着いたのが13時半ごろ?
西ヶ原の家に着いたのが14時15分ごろ。
メールチェックをすると38通のメールが届き、
掃除とか整理とかしてたら15時になってしまった。
15時は新宿集合だったので謝罪のメールを出して
15時50分代々木上原(会場最寄り駅)合流ということに。
「そんなら余裕じゃーん」って悠々歩いて駒込駅に着くと、
財布がない。愉快なサザエさん。
顔パスを試みるも、駅員さん曰く、

「私が知ってる堀切さんはもっと…もっと一生懸命でした!!」

がぁーん(ToT)
そうか、忙しい毎日に飲み込まれて僕はヒタムキサを失って…(中略)
というわけで出直し。ダッシュで。
家に帰って財布を握り締め、再び走って地下鉄に飛び乗った。
乗り換えや下車後の道も全てダッシュした結果、
16時20分ごろ(開始10分前)に会場へ辿り着き、事なきを得たのであった。
(その後、左足首を痛めたらしいことが発覚したが。)


さて交流会の中身に入る。
この交流会にはベトナムからの派遣団員18人(うち団長1人、学生17人)を中心に
ベトナム人・日本人の学生・来賓が約150人ほど出席していたと思う。
「18人の派遣団」と言うと中学時代のダーラム訪問を思い出すが
その大規模・青年版で、今回自分は迎える立場、という感じ。
団長の挨拶やら迎える側の言葉、そして双方の出し物があるあたり
ダーラム訪問と強烈にダブる。

この「出し物」、今回ADYFが担当することになっていた。
まさかこんなフォーマルな状況で150人もの人を前にするとは思っていなかったADYF、
島唄歌います」とか言っちゃってたのだ。
さぁて困った。相手はちゃんと練習を重ねた出し物をしてくれるぞ。
それに比べてこっちは全体練習ゼロ、1週間前に「各自練習」の通達が下ったのみ。
僕自身も昨夜2時間ほど聞いたのみという有り様である。
緊張が、、、危機感が走る。

本番。マイクを握ったのはKとぅ熱唱っ
他に2本あったマイクのどちらもが弱声量だったにも関わらず
そしてCDの調子が悪いか何かで伴奏が止められてしまったにも関わらず
1本だけカラオケマイクが混じっているかのように響き渡るKとぅの歌声。
もはや誰も止めることはできないし、止めようとも思わない。
ステージへ共に上っていたADYFメンバー皆が彼を応援していた。

歌い始めたときには誰も予期しなかった展開で無事に仕事を終えたADYFKとぅ。
周囲には安堵の空気とKとぅへの感動の声が満ち満ちていた。

ところで実際Kとぅがとても上手だったので良かった。
ここでもしKとぅがOンチだったらどうなっていただろう。
いわゆる「不協和音」が生まれていたら。交流も何もおじゃんである。
しかも島唄を完全にマスターし、よどみなく歌い切ったKとぅ。
彼にはイグノーベル賞を捧げたい。

そんなわけで交流会は万事問題なく終わった。
次の交流イベントはいよいよ1週間後からのサマーキャンプである。
Closing CeremonyでOぎSんがバンドを組むという噂なので
イグノーベルのKとぅと組んでADYF新人がいっちょ盛り上げてやろうかと企んでいる。
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by kan-net | 2005-08-22 16:30 | サークル
富山県選手権大会
富山での用事の二つ目、高校陸上部の応援に行ってきた。

富山市中心部からやや離れたところにたたずむ県総合運動公園。
これまでも時間を見つけては後輩の応援で訪れるが、
あの場所に行くと当時の感覚がふと湧き上がる。そんな場所である。
でも今はスタンドの上のほうにおとなしく座って静かに応援する身。
時の移ろいってやつだなぁ。

OBでは僕の他にT崎兄弟、M井、K太郎がいた。
やっぱり気になるんだよね、後輩たちの様子が。
そして何より好きなんだよね、陸上部の雰囲気が。


今でも鮮明に思い出せる、仲間たちと過ごした日々。
自分は高校2年から陸上を始めたけど同輩や先輩、後輩のみんな、あと顧問に恵まれて
入部してすぐから陸上が楽しくて仕方なかったもん。
最後の総体で奇跡の大躍進できたのも、陸上は個人種目ではあるけど、
確実に部の仲間たちのおかげである。あと、応援し協力してくれた家族と。
陸上部での日々は本当に充実していて、
陸上部を抜きにして僕の高校生活は語れないし、
実際陸上部のおかげで今の僕がいると言って過言ではない。

そしてその仲間たちと築いた友情、信頼関係。
僕の代はいろいろ問題かかえて激しく対立することもしばしばあったけど
実はすごく仲が良くて、信頼しあっていたんだろうと思う。
だからこそ卒業して各地に離散してからも年に一度は集まってるんだろうと。
しかも今日は試合後にM本先生が僕らOB5人を飲みに連れてってくれたけど、
先生が誘ってくださり、そして3つの学年に分かれる5人が全く分け隔てなく歓談するという
そんな空間は絶対にあの部でなければ築けるものではないと思う。


最近あまりパッとした成績を残せない時期が続いていた現陸上部だが、
今日の大会を見ていると入賞者の数もすこしは盛り返して、
今後また期待できるのかなぁという感じがした。
現陸上部員たちにはぜひとも頑張ってもらいたい。
ちなみに僕が高3のときは部員の過半数(17人くらい)が北信越大会に行ったぞ。
これはなかなか上回れまい。ふっふっふっ。
だけど上回ってほしいね。それくらい努力して、大暴れしてほしい。
みんなで充実した部活動をしていけば、絶対に僕らなんか超えられるさ。
そしてその日々の末には、必ずすばらしい宝物が用意されているよ。
きっと全てのOB/OGがそれを保証し、きみたちを応援している。

ふぁいっとー!
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by kan-net | 2005-08-21 23:00 | 暮らし
リーダー研修会にて講話
今回富山に帰ることになった最大の理由、
「リーダー研修会での講話」
富山県高岡市の二上少年の家に行ってきた。

前にY本先生と話したときには誤解してたんだけど、
今回の研修会は富山市のものではなく、
Y本先生が現在勤務している富山北部中学校の2年生の
リーダー研修会であった。
2年生の25人を前にして講話、ということ。
くそぉY本め、電話コミュニケーション下手すぎるぞ。

つぅことで若干気の抜けたところはあるけど
そのくらいの規模のほうが話も伝わるかなぁと思い
また話し始める瞬間まで内容を考えてなかったこともあり
ま、良かったということで。

で話をしながら考えた話の内容なんだけど、
とりあえず、中学時代を中心におよそ15分、
・下手にもかかわらずサッカー部キャプテンを務めた話。
・生徒会長になりたくないと言って駄々こねて泣いた話。
などなど。
それから中学生のみんなからの質問に答えるかたちでおよそ25分、
・部活で勝ちたい人と楽しみたい人がいるときにどうすれば良いか。
・部活や掃除に参加してくれない人がいるときにどうすれば良いか。
・ぎりぎりの多数決をして少数派に不満を持たれたらどうすれば良いか。
などなど。
質問に答えて僕の夢をおよそ5分、
・土木で貧困問題に取り組みたい話。
さらなる質問に答えて先生方を猛烈に援護射撃、およそ5分、
・授業時間に集中して、放課後は遊ぶべき。
・東大模試がD判定でも、何事にも全力でやった結果が合格という褒美になった。
・リーダーやってるといろんな人と出会えておいしいよ。
など。

中学生のみんながどう感じながら聞いてくれただろう。
話しながら見ていて反応は悪くなかった。
あの子たちに何らかの良い刺激を与えることができたなら良いと思うのであった。
Y本先生ら、先生方には今後もがんばってもらいたい。
それを援護するためには力を惜しまない所存である。
…ただし測量合宿やインターンの途中に電話してくれるな。


ところで話しながら、なんてすばらしい話をしているのかと思った。
大学生になっても根本は変わらんなぁと。
これが大学生相手だと絶対に「でも」がすぐ出てくるって容易に想像できるけど、
それは本質的なところを言っているのではなくて、
それまでの人生でひん曲がってしまった部分があるから言ってるだけなのかもしれない。
と思った。
少なくとも自分はそうかなぁと。ひん曲がった人。
国際Pコースでの問題なんか、まさにひん曲がったまま他人の上に立った男の愚の骨頂で。

中学生の前で話をし、これまでの自分を振り返ることで、
今の自分にとってもプラスになったと思う。
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by kan-net | 2005-08-20 13:30 | 暮らし