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今年の夏は!
今年の夏の予定を記してみよう。驚異的な忙しさなのだ。

8月02日~05日 空間情報学実習(測量)@神奈川県足柄上郡
8月08日~26日 日本工営インターン@千代田区
9月01日~10日 ADYFベトナムサマーキャンプ@ベトナム首都ハノイ
9月中旬      マニフェストゼミ現地調査@岐阜県多治見市
9月中旬      シナリオプランニングゼミ-前田建設交流会@愛・地球博
9月中旬?     旅行@どこか
9月26日~29日 フィールド演習合宿@山梨県山中湖村

この慌しさ。
あっちこっち行き過ぎやろ。落ち着きねぇなぁ。
しかもここに書いてないチョコチョコした用事もあるわけでさ。
帰省もしたいし。

とか言いつつどれも楽しみなわけで。削る気はございません。

あと、文武両道で健全な生活を取り戻したい。

「文」
外国語に着手しよう。
・英語はもちろんのこと、
・大学1,2年でやったフランス語を思い出す。
 好きだったのに忘れてしまうのはもったいない。NHKラジオ講座
・せっかくベトナムに行くわけだからちょっとくらいベトナム語。
 本当、この夏の前半1ヶ月限り。参考書。
・さりげなくハングル語。
 日本語に近くて簡単だとか聞くし。参考書。10月からはNHKラジオ講座を採用。
てかなんでいきなり外国語かって言うと、
好きだから。楽しいんだよね、新しい言葉って。
そんでいちおう曲がりなりにも「東京大学~~国際プロジェクトコース」に所属しとるわけで。
自分で自分をそれなりに評価できるような積極的な姿勢は持っていたいと思うし。

「武」
今学期はあまりにも運動してなくて不健康の極みだった。
夏以降は御殿下に週二回以上は通ってみよー!
せっかく年間パスポート買ったんだから。使わないと損だし。


ということで夏からもまたがんばってみよう、というのを
休みが来る前に(最後の試験を前にして)言い放ってみた。
うん、これを実現できれば充実した生活に違いない。よぉし。
がんばりまーす。



ちなみにハングルの参考書をペラペラめくって、見つけました、ナイスフレーズ。


トゥェッタヌンデ ウェ クロセヨ
クニャン ノァ ドゥセヨ

いいと言っているのに、しつこいですよ。
ほっといてください。
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by kan-net | 2005-07-28 00:00 | 何気ない
時間の流れ
前々からわかってたことなんだけど、
最近、時間の流れがおかしい。

【時スケール】
いつの間にか時計が深夜0時を指してる。
そんでやばいー言って、また気付くと3時になってる。
時計が狂ってるんじゃないかーなんて思ったりするけど、
狂ってるのはそこにある時計じゃなくてこっちの体内時計。
そうしてまた翌日には8時半からの講義に出るべく7時半に起きて、
朝食すませて大学まで自転車をかっ飛ばすわけだ。

【日スケール】
三連休だと言うのに、ここまでの二日間でしたことと言ったら
睡眠 食事×6 風呂×2
掃除 食料品買い物 レポート×4
あれ、日本国憲法第二十五条にこんな文があったような。
全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
なんと僕はこの権利を持ちながらにして家にこもってレポートを書いているわけだ。
と思うと、なんだか癪に障る。
明日だけでも全部ほっぽりだして遊んだろか!!
…嘘。明日もレポートや試験勉強で必死になるのは明白。


とまぁこんな時間が流れているまま、間もなく最終試験期間に突入しちゃうわけだ。
えーーーーー。そりゃないわ。
日スケールはまぁ試験期間にも対応しとるけど時スケールはまずい。
一夜漬けした末の寝ブッチ(寝すごして無受験)だけはシャレにならない。
でも、このままの流れだと、、、ありうる。

変革せねば!!

ちゅーわけで早寝早起き計画の断行が決定。
遅くとも深夜1時には床に入る。
6時間は寝て、7時には起きる。

この計画、試験期間があまりに差し迫った段階における断行であり、
単純に勉強量が不足して全然ダメダメな結果を生み出すリスクをはらんでいる。
吉と出るか凶と出るか。

ちなみに決まり事には抜け穴というものが付き物。
今回の場合。
「但し、安眠できそうにない場合は無理に寝る必要はない。」

いや、ちゃんと1時には寝るよう心がけるけどさ。
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by kan-net | 2005-07-17 23:00 | 何気ない
ありがたき存在
昨日、叔父の計らいで法事があり、親類一同と会ったわけだが、
一人暮らしの僕にしてみれば家族と会う機会でもあった。
父は昨日の昼まで、母は今日の昼までこちらに滞在していて、
昨夜から今日にかけて母のありがたみというものをヒシヒシと感じた。
いやぁ感謝の一言に尽きます。

ケース1:晩御飯
昨夜、ADYFの会議で遅くなったあと、
何も食べてなかったもんだから我が家にいる母へ電話、
「なんか食べるもの作ってくれんけぇ?」
帰宅。作ってくれてる。
「まだちょっとかかるからシャワー浴びとられぇ」
シャワー浴びる。あがる。
「大したもんじゃないけどぉ、まぁ食べられぇ」
うまい。これが。
もしこれが一人暮らしだったら、、、
帰って冷凍ご飯を解凍してフリカケふって食。
それがいまや炊き立てご飯と味噌汁、おかず3皿。
いや、なんなのよ、この幸せ。

ケース2:部屋掃除
最近ぜーんぜん時間がなくて部屋の掃除なんかしてなかった結果、
言うまでもなくそこらじゅう埃だらけ、カビが生えてるところもあったりしてヤバイ状態。
というわけで母の提案で大掃除をおっぱじめた。
これ、ふと思うに、自分の部屋でもないのにバシバシ掃除してくれて、
しかも家主からしても、バシバシ掃除されて嫌な気分しないのは、
家族だから。だよね。絶対。
時おりドリンクなんか持ってきてくれたりして。
お昼ごはんなんか持ってきてくれたりして。
いや、もぅホント他にないから、こんな幸せ。

ケース3:お買い物
「ほったら、買い物行ってくっちゃえ」
言って出かけた母が、4,50分後には両手に買い物袋を持って帰ってくる。
「はい、トウモロコシ」
「はい、なんちゅ名前か忘れたけど、観葉植物」
「タオル掛け、こんなん買ってきてみたから使われぇ」
いろいろ買ってくれるのね。
必要以上に貧乏生活してる息子を案じてくれたのであろう。
観葉植物とか、ちょっと欲しいなぁと思ってたら、本当に買ってきちゃうからね。
これはね、もう、ね。

ケース4:会話
やはり家族というのは慣れ親しんだ波長を感じるね。
特に顕著なのが、話のテンポ。
母はよくしゃべるので、正直たまに聞いてなかったりするんだけど、
そのテンポでの言葉が聞こえてくると
「おぉ~おるおる」
って思う。
しかも聞き慣れた富山弁。なんとなく、安堵感。
あと家族ならではのヘンな盛り上がり方とかできるし。
うーん。幸。


というわけで母に対する感謝の気持ちで一杯。
母に支えられているなぁ。
母って、こんなにありがたい存在だったんだなぁ。
って、改めて実感。
いやぁ本当に。ありがとうございました。

そのうち親孝行さしてもらっちゃね。
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by kan-net | 2005-07-10 22:30 | 何気ない
そうだ旅に出よう
先週の金曜日から国際Pコースのことで
毎日1人以上と何時間も話し合いしてて
悩んで悩んで悩みまくって
うむむむむむむむむむーってなって
ぐにゃんぐにゃんになって
ただし今日の話し合いの結果は僕にとってすごくプラスになることだったから
もう悩むことないって気持ちもあるけど
「つもり」はなくてもやっぱりそればっか考えてて
考えてたら悩むことになって
精神的、肉体的に、もーだめ。

言うこと為すことに力なく、
マイナスな自分の様子が自覚できるし、
でもそれをプラスに変えることもできなくて、、、

こんな状態は長く続けてはならない。
他人にも迷惑かけるし。自分自身も嫌になるし。
どうにかして変わろう。
とりあえず今までのことをゼロクリアーしよう。
と、そこで、
K輔がポロッと言った言葉尻をとらえ、

旅に出ることにしました

行き先は、どこでも良いんだけど、
ここは以前から是非行きたいと思っていた、

熱海、アカオリゾート公国へ!!

即刻、木曜日はサボタージュ決定。
水曜日の講義が終わり次第、熱海へ発つ。
Nリの計らいによってちょっとお安くしてもらえるし、
てか、安くしてもらえなくても、
僕のことを想ってくれているある人は言いました、

「こんな時のためにお金があるんだよ」

ハイ決定。

明後日僕はリゾートへ行きます!!
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by kan-net | 2005-07-04 18:00 | 何気ない
固定観念を打ち破れの巻
友人とのメールを通して『将来』というものについて考えてみた。

最近は歳相応に、自分の身の周りの人が『就職』に近づいてる。
そんで悩んでるような言葉を聞くことが多い。
これまでは区分さえ変われど"student"でいられたわけで。
student歴15年にてついにその身分が変わると考えると、やっぱり戸惑うよな。

僕が大学院に行くつもり、つまりまだstudentでいるつもりだから言えるのかもしれんけど、
いつも思うのは、将来のことを悩むときは固定観念を捨てた方が良いよなぁってこと。
たいてい、「自分はこうなるんだ」って思ってる。
そうなるべく大学の講義も選択して単位とってきた。資格も手に入れた。
だからそれが当然だって思ってるんだけど、
でもそれは必ずしも『今の自分』が本当にやりたいことと一致しないんだよね。
そりゃ、もちろんそれが浅はかで一時的なものだったらダメだけど。
本当にやりたいんなら今からでもそれに挑戦しようよって。
これまでやってきたことが無駄になるわけないし。
何らかの形で意味あるものとして残るし。
例えそれが信じられなくて、無駄になると思えて仕方なくても、
もう二度と戻ってこない『過去の自分』にこだわって
これからやってくる『未来の自分』を縛り付けるなんて、そんなことしたら
『今の自分』『未来の自分』って『過去の自分』の産物でしかないんだよな。
…つまんねーーーーー!よね。
僕は、おもしろい人生を歩みたい!!
って強く思うから、僕は『今』賢い選択をできる人間でありたいなって思う。


それは、別に就職とか進学とかに限ったことじゃなく言えると思ってる。
ここからは応用。

自己分析って地味に流行ってると思うけど基本的には『過去の自分』を分析してるわけで。
そんなものを通じて
「そーかなるほど自分はこんな人間なんだ」
って、『今』と『未来』の自分を束縛しちゃったとしたら、
それは、なんとも虚しい話。
せっかく分析したなら、それを踏まえて『今の自分』が望む『新しい自分』になるため
どうしたらいいかなって考えて、そして、それを実行しよう。
それが最も意味のある自己分析だと思う。

僕がこれまでに何度か聞いて、その度に憤慨してしまう言葉、それは、
「私ってネガティブだから。」
きっと"Negative"の『消極的な』より『(自己)否定的な』って意味で言ってるんだろうけど、
"Negative"(否定的な)を肯定するとか、どうなの。
本当に文字通り"Negative"だったらそんな自分すら否定したら?くらいのところを、
自分を変えるつもりがないからって都合良くいきなり肯定してるように見える。
「自分の落ち着く場所見つけた~」みたいな。
「それが自分なんだ~」みたいな。
そういう『否定の肯定』。なんか、悲しくない?

太陽の周りを回る丸い地球の上に人間が生まれては死んでいく。これは、変えられないこと。
だけど、人間は変えられるものだと思う。
もちろん天才と呼ばれるような先天的才能の部分は当てはまらないし、
足の速い遅いとか視力の良し悪しとか、身体能力的なものも根本的には変われないけど、
そういう脳ミソや筋肉の先天的な仕組みと違ったところ、
つまり形のないナニカによって既定されているような、性格とか、人柄とかは、
いくらでも、いつからでも変えられるに違いないと思う。
だって、形はないんだから。
変えるも何も、「変えたい」「変わりたい」って思った瞬間、変わることはできる。
後はその変化をどれくらい本気で実現しようとしてるか。
中途半端な願いで「別に変わらなくてもいいよ」ってのが根底にあるから、変『え』なくて、
でも本人としては「どうあがいても変『わ』らない」という結論になってしまう。
絶対に、変われるって。
だって、形はないんだから。

いや、これはNegativeだと自覚してる人を批難したくて書いてるわけではなくて、
ただ僕の価値観としては『Negativeだという自覚』は悲しいものであって、
また僕自身がNegativeじゃない(と自覚してる)からそういう苦労したことないものだから、
「変わろうよ。変われるよ。」って思って、書いてる。
自分なりに応援してるつもり。表現下手。
もしこれを読んでご立腹なさる方がいたら、ごめんなさい。


就職の話から始まって固定観念の話で思いのほか熱くなってしまった。
しかも長すぎる。要約力不足を露呈してしまったのでありました~。
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by kan-net | 2005-06-14 00:00 | 何気ない
Kanetスタートにあたって
ブログに進出してみた。
Excite エキサイト:ブログ(blog)というやつ。
Iリちゃんに勧められてこのブログを選びました。

そんで、さっきある人と電話してて聞かれた。
「それって誰でも見れるネット上に日記を書くってことでしょ?恥ずかしくないん?」

うーんと。なんだろうね。答えは。

きっと自己主張したいんだろうな。
僕ってこんなこと考えてるんです、こんなことにも興味あるんです。って。
見る人に知ってもらいたいっていうか。
たぶんそんなのが理由としてある。

でもインターネットは世界共通。
どこにいる誰にでも見られるわけで。
そんな人にまで自己主張したい、わけではない。
時には「こんな人には見られたくない」って人に見られることもあろう。
にも関わらずブログを書くということ。

はてさて。謎は深まるばかり。
流行ってるのもひとつの理由かな、マイナーだったら時間あってもやらないだろうし。
そういう意味では自分も案外やるじゃないか、波に乗ってる。

あ、ひとつ思った。理由。
自己主張と言うより、もう一歩先で、自己を認めてもらいたいんだな。
ブログって自分が著者だから自分の好きなこと書ける。
つまり例えば人から軽蔑されそうなこと、認めてもらえなさそうなことは書かない。
尊敬してもらえそうなこと、認めてもらえそうなことを書く。
もしくは尊敬される「ように」、認めてもらえる「ように」書くことができるわけだ。
そうか、これだなきっと。

となるとつまり僕もこの手の人間であるということだ。
うーんと、えーと、なんか、浅はかな感じ?

こじつけよう。
今、オンラインの場に自分の文章を載せるにあたり、
くしくも上記のような部分を認めてしまったからには尚更、
しっかり文章を作成しなければならない。と思った。
それは自己分析なのでは?
自分の考え、行動が社会への公表に耐えうるものであるか否かを自己評価する機会。
それは、明日の自分に反映されていくんじゃないだろうか。
もちろん見た人からのコメントで自己を見直せるというのもポイントだと思う。
と、考えると、悪いものでもない気がする。

うん。悪くない。こじつけ感は否めないが。むしむし。

こうしてKanetはスタートを切ることになったのでした。
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by kan-net | 2005-06-10 22:22 | 何気ない