カテゴリ:勉強・見学( 19 )
東北旅行記録(2013年3月30日~31日)
フランスへ渡航する前にと、3月30~31日に東北へ行ってきた。日が経ってしまったけど、その時の記録・感想を少しだけ。



震災の後に二度訪れている気仙沼に、3月30日、もう一度行った。昨年5月と比べて街の景色に大きな変わりは感じない。いくつかの建物が新たに撤去されていた。いくつかの歴史的建物は復旧予定である旨の掲示がされていた。港の桟橋は相変わらず壊れてぶら下がったままだった。見た限りにおいては、大した復旧・復興が進んでいないように思う。


気仙沼港のあたり
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国登録有形文化財として応急修理されている建物
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しかし復興が進まないことを歯がゆく思う一方で、では具体的にどうすればよいのかという命題に対して自分は答えを持っていないとはっきり認識した。どのような社会を東北のあの地に新たに築き上げていくのか。以前の状態の回復をという考え方もあるし、以前の状態がそもそも望ましかったかという疑問もある。住民一人一人の考え方も違う。そのなかでどこへ向かうか。難しすぎる命題だけれどもいつまでも二の足を踏んでもいられない。

僕がこれからフランスで勉強する「持続可能な開発」に何かヒントがあるかもしれないと思う。というかあるべきだ。しっかり意識して勉強をしようと思った。


気仙沼の中でも、ニ年前にボランティアをした唐桑地区・鮪立の様子が気になって、再度訪問してみた。すると清掃活動をさせていただいたお宅のお母ちゃんと偶然にもお会いできて、お話しすることができた。奥さんの家はもともと漁師だった。震災後は当然かなりのダメージがあったが引っ込んでばかりもいられないということで、各地からの支援金も活用して漁船を新造し、漁業を頑張っておられるとのこと。また約ニ年間ずっと鮪立に拠点を設けて活動していたボランティアグループが、活動の長期化による維持難やリーダーの体調不良もあって、先日ついに撤退していったとのことだった。思いがけずお母ちゃんとお話しできた幸運にとてもびっくりしたし、お母ちゃん家族のとても前向きで活発な実業家としての活動っぷりには二重にびっくりして嬉しく思った。でもボランティアグループの撤退は少し寂しそうだった。これからしばらく行くことはできないけど、帰国したらまた鮪立にも足を延ばそうと思う。

ちなみに鮪立の町の様子自体は一年前とほとんど変わらなかった。だけれどお母ちゃんみたいにパワフルに乗り越えている人もいるわけだし、気仙沼港の隣の市場に行った時にカニクリーム商品を押し売りしてきたお姉さんもとても良い笑顔をしていたし、目に見える町の復興・復旧を待たずして、強く乗り越えていっている一人一人の人間たちがいるのだなと感じた。

ちなみに鮪立では写真の布切れの高さの堤防を作る計画が出ているそうだ。小さな地区でも賛成派と反対派が出ていて全くまとまらないそう。
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(真ん中右寄り、白いテントの左上あたりに張られているオレンジ色の布きれが堤防の高さ)


3月31日は福島県いわき市の海岸沿いを路線バスに乗って見た。被害を受けた地区の風景は僕の目には気仙沼やその他の地域と大きく変わらなく見えたけれど、僕はいわき出身の友人が何人かいて、彼らにとっては唯一無二の場所なのだと思った。彼らの気持ちになってものを見ることなどできないけど、彼らの気持ちを勝手に想像すると勝手にとても悲しい気持ちになる。それ以上でもそれ以下でもないのだけど。僕は土木技術者として、このような悲劇が繰り返されることのない社会づくりを世界でしていくしかない。

路線バスだったので普段使いの乗客の人たちも何人か同乗していた。よくこのバスに乗ってるんだと思う。そして運転手さんもいつもこのルートを走ってるんだと思う。どういうことを気持ちで乗ってるんだろう。もちろん心地よくはないと思うけど、どうしようもなく辛いというわけでもなかったりするのかなと勝手に想像する。だからどうという話ではなくて、ただ思っただけだけど。

原発の話は僕はあまり理解できていない。今回も特に接近しなかった。とにかく思うことは、シンプルで歴史のある技術をうまく使って生きていきたいということ。想定の限界は必ずある。完全があり得ない中で物事の信頼性を高めるためには、単純明快なものや、経験的に信頼性が認められてきた(からこそ歴史的に生き残ってきた)ものを利用するのが妥当なのだろうと思う。ただしこれは複雑なものに対する僕のある種の毛嫌いなのだろうと思うけど。これから世界で社会づくりに携わっていく上では、自分はそういう意識がベースになりそうかな、と思う。



簡単だけど、そんなところ。これまで2011年7月2012年5月、2013年3月と10か月ごとに行っているし次は2014年1月とかに行きたいのだけど、フランスにいるのでちょっと難しそうなのが残念。まあ行けばいいというものでもないし、僕が今するべきことはこのフランスの地でしっかり勉強することなのだろう。
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by kan-net | 2013-04-16 05:28 | 勉強・見学
論文レビュー: Inaccuracy of traffic forecasts
"Inaccuracy of traffic forecasts and cons estimates on large transport projects"
Mette K. Skamris and Bent Flvbjerg
Transport Policy, Vol. 4, No. 3, pp. 141-146, 1997

大規模交通事業における需要予測および事業費積算の不正確性に関して。
デンマークの先生が1997年に書かれた論文で、
昨年、大学の先生から教えていただいたもの。

書かれた時期はやや古いけど
おそらく大きくは同じ傾向が続いているだろうと思われる。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

論文の要旨としては
自国および他国の大規模交通事業(鉄道・道路・橋梁・トンネルなど)について、
①事業の実施承認時に計算された交通需要予測の値および事業費と
②事業が実施されて供与開始したのちの実際の交通量および事業費
との比較を行った結果から、
・事業費が計画時よりも50%~100%ほど超過する事業が多い (※1)
・交通量が計画時よりも20%~60%ほど少なくなる事業が多い (※1)
という傾向を指摘し、(※2)
交通量の過大予測が不適切な予算配分を招く恐れがあると指摘するもの。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

※1 事業承認のために実施される実施可能性調査(Feasibility Study)では誤差10%以内の精度が要求される、と会社の先輩から聞いたことがあります(文書として明記はされていないと思う)

※2 論文では予測の難しさを認めながらも、その予測誤差が過多ないし過小の一方に偏っていることから単なる「予測の難しさ」の問題ではないと指摘しています ←2013/1/11追記

僕もこれまで交通量予測の仕事をしてきた。
残念ながら事実として、交通量の予測は「(少ないよりは)多い値を出す」という意思が
特に途上国の事業者(公共事業省など)には働いているように思う。
(計算には様々な仮定を与えるためその過程である程度の操作が可能)
政治的な背景などもあり事業実施がすでに既定路線になっているケースが多く、
事業実施の議会承認をスムーズに得るために「多めの」交通量予測が好まれる傾向。
また同じく議会承認を念頭に、事業費もできるだけ安く抑えるよう(やや無理をしてでも)
という傾向があるように感じた。なのでこの論文で述べられている傾向は正であると思う。

気になるのは
・2013年現在に置き換えて再検証するとどうなるか(論文公開から16年が経過)
・大規模事業に限らない各種規模の場合の検証結果はどのようなものか
・近年よく取沙汰される民活事業の場合にはどのような傾向が出るのか
関連論文は既に出ているだろうから、今度調べてみよう。

あと、もう少し身近なところで実は一番気になっているのが、
自分の携わった事業について同じような比較をしたらどんな結果が出るかということ。
まだ実現された案件はないけど、実現されたら比較してみよう。怖いけれども。



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現場から離れて勉強をすると決めたので、勉強をちゃんと頑張れるように、
また現場で頑張っている仲間たちに少し刺激になるような発信ができるように、
勉強したことをちょくちょく発信していくことにしようと思ったのでした。
企画倒れにならないよう続けていきたいと思います。
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by kan-net | 2013-01-10 23:04 | 勉強・見学
東北旅行記録(2012/5/11-13)写真
2012年5月11日(金)から13日(日)まで2泊3日で東北旅行に行ってきた。
その時に撮影した写真。記録はこちら


陸前高田

海に浮かぶのはボランティアが手作りした牡蠣養殖用のいかだ。
向こう側に広がるのは壊滅的打撃を受けた陸前高田市。
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海に面する見晴らし台。洪水の到達点、13.7m。
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街中の様子
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失われた高田松原
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一本松
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陸前高田ボランティアセンター
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ボランティア活動、高田松原の再生に向けて植えた、松の苗木。
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気仙沼

気仙沼港 Before (2011/07) - After (2012/05)

いくつかの家屋が撤去された
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変わらない(撤去されてない)
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埋め立てられた
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船が撤去された。電信柱が付け替えられた。市場が開かれている。
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市場
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気仙沼市唐桑地区 Before (2011/07) - After (2012/05)

電柱が立った。破損した窓の補修。向こう側の家屋が撤去された。
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右側の家屋が撤去された。
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前回のボランティア活動で組み立てたテント。
使われていることは嬉しいけど、臨時倉庫用として組み立てたものなので、
まだ残っていることに寂しさも感じる。
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かき小屋。美味!
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サトル
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by kan-net | 2012-05-27 03:55 | 勉強・見学
東北旅行記録(2012/5/11-13)
2012年5月11日(金)から13日(日)まで2泊3日で東北旅行に行ってきた。
その時に関する記録。
今回は前回と違ってリアルタイム記録がないのでここベトナムから振り返る形になります。
少し間が空いてしまいましたが。

写真はこちらにまとめてアップしています。


行程

5月11日(金)
夕方 東京→気仙沼

5月12日(土)
朝  気仙沼→陸前高田VC
日中 陸前高田でボランティア
   (午前)仮設住宅群のあるキャンプ場にて畑を作る準備(草むしりと石拾い)
   (午後)高田松原を再生するための松の苗木の植え付け ニュースに出たよ
夕  陸前高田の視察→気仙沼

5月13日(日)
午前 気仙沼の視察
午後 気仙沼→東京


町の様子

何もないという印象。昨年7月との違いとしては、がれきや崩れかけの建物が殆ど各敷地から取り払われたので、次に何かを作り始めるための状況は前よりは整ってきていると言える。だけどまだ何もないので、「津波に全て飲みこまれてしまった」で物語が終わっているような印象を受けた。

陸前高田
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気仙沼
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その他の写真はこちら


聞いた話

陸前高田ボランティア参加の男性 一関市在住
「休みの日は来ている。各地のボランティア活動が縮小傾向にあり、いつまで続けていくのかというのは今後悩ましいと思う。自分としては遠くから助けに来てくれる人がいる限り続けようと思っている。色々な人と会えるのも楽しいしね。」

陸前高田ボランティア参加の男女 新潟在住
「昨年5月から月に1,2回来ていて、今回で17回になる。まだやることがあるから来ているということ。今年も草むしり大変かなぁ。」

大学同期のサトル 気仙沼在住
「土木に志があって、日本でこのような災害が起きたので、来た。行政の縦割りの仕組みに慣れない。少しずつやっていくしかない。」

かき小屋で同席させてくれたおばちゃん 気仙沼在住
「よく「絆」と言っているけど、私らにしてみれば「感謝」。遠くから助けに来てくれてありがたい。自分たちは運もよくて助かった。何もかも感謝。」


感想

率直に、遅いのではないかと思った。復興スピード。様々なプロセスに時間がかかることは理解できるんだけど、そういう意味では「通常のスピード」程度しか出ていないのでは?がれき処理問題なども様々に報道されているけど、道路を走っていて所々にがれき山を目にするのは単純に気持ちが塞ぐ。それはもう、時間かけずにどうにかすべきことなんじゃないかと思う。

そういう意味でボランティアの役割はあるかなと感じた。ボランティアにできることはかなり限定的だし、今回の活動内容が畑づくりや松の植え付けだったことからも、要求される内容も差し迫ったものでなくなりつつあるのは確か。だけど災害発生から14か月が経過して未だがれきが積み上がり、町の姿もまだ何も戻ってきていない、「この地は見捨てられたのかな?」という気がしてしまうような景色の中にあって、「いや、どうにかしましょうや」というポーズを示すという役割をボランティアは担っていると思った。それに地道な活動を継続して積み上げることで、復興への実質的な寄与ももちろんしている。復興への意思表示と、その実行。たとえ規模が小さくても、わかりやすい形でそれを示し、継続しているボランティアの役割は重要だと思った。

久々に会ったサトルは前と変わらず飄々としていた。この春に転身したばかりなのでいろいろ苦労もあるみたいだけど、ここでの日々は陸前高田の復興にもそして彼自身の成長にも繋がるだろうと思う。日本国内であれ途上国であれ、自分を必要としているところへ赴いて働きたいというのは自然な心境だね、という話などなど。お互いにお互いのフィールドで頑張ろう。

より個人的で素朴な感想としては、ボランティアでちょっとした力仕事ができて、新しい交流を拡大でき、旧友と再会し親睦を深められ、その旧友の住まいで田舎暮らしを体験できて、美味いメシにもありつけたので、行ってよかった。よくなかったことと言えば東京⇔一ノ関の往復乗車券を購入していたことを忘れて復路で乗車を二度買いしてしまい、6000円ほど損したこと。。


ボランティア活動の状況(2012年5月12日時点)

陸前高田ボランティアセンターは月・火曜日を除いて週5日間活動している。以前は毎日の活動だったのを、需要と供給に合わせて縮小しているよう。

長靴など用具等の貸し出しはあるし、ボランティア保険もその場で入ることができる。事前申し込みも必要ないので、汚れていい服装と昼食さえ持参すればその場ですぐ参加できる。去年の気仙沼での参加時にも思ったけど、ボランティア活動参加のハードルは高くない。

作業内容や場所は日により違うけど、いずれにしても9時過ぎにセンターを出発して15時には帰ってくるので、たくさんの作業はできない。少しずつだけど、続けてやっていきましょうというスタンス。最近は参加者が減っていて活動の維持が困難になりつつあるらしいので、お暇のある人は参加してみてください。
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by kan-net | 2012-05-27 03:54 | 勉強・見学
東北旅行記録 まとめ
日付かわって8月2日になりました。もう8月ですか。

7月31日付で、4つの記事をアップロードしました。
東北旅行記録 その1
東北旅行記録 その2
東北旅行記録 その3/了
東北旅行記録 写真

記事のうち文章の3つはもともとブログに書き起こすかどうか決めかねた状態で
書いたものなので、文章としてはたいへん冗長で稚拙ですが、
現場でその時に感じたことや考えたことがほぼそのまま表れていると思います。
お時間のある方に限り、ご笑覧いただけたらと思います。

ただ、やはり上記はかなり冗長なので、以下にまとめを書きたいと思います。

ひとつは、4ヶ月半も経過したけれども、
まだまだ復旧・復興への道のりは遠いということ。
地震発生の翌日にヨルダンのテレビで見たような、
津波で流された乗用車が建物の屋上に乗っている情景が、未だ残っています。
かなり手が遅いと感じました。

また津波の威力は本当に絶大だということ。
もしも、同じ災害に対して対策・準備のための時間が
好きなだけ与えられたとして、土木技術者は何ができるのか?
いくら時間が与えられてもこの被害を防ぐことはできないのではないか、
という思いがよぎりました。
しかしそんな弱気なことを言っていてはならない。
土木技術者として、今回の教訓を十分に吸収し、次の災害に負けないための
技術の開発、社会づくりをしていかなくてはならないと思いました。

あと、また東北に足を運ぼうということ。
今回「来てくれるだけでも嬉しい」という声に触れて、
観光でもボランティアでも、そこに人がいるということが
地域の活力の前提条件なのだと感じました。
人がいないと復旧・復興なんて始まらない。
そこに「いる」ことに意味がある。
また東北に行こうと思います。

以上が、東北旅行記録のまとめです。

なおこの4つの記事をアップロードした7月31日には、
このブログ開設以来、最大のアクセス数(閲覧者数)を記録しました。
よりにもよってこんな稚拙な文章を多くの方の目に晒すというのは
個人的にとても恥ずかしいことに思ったのですが、他方で
それだけ多くの方が東北を思っているのだと知ることができたのは
嬉しいことでした。

あとボランティア参加へのハードルというのは、やはり僕だけでなく
感じている人が多少いるようだったので、改めて書くと、
必要なのは、健康な身体、汚れても良い服、責任感。以上。
あとのもの、例えば長靴や手袋やボランティア活動保険への加入手続きは、
ボランティア取りまとめ団体のお世話になったら良いのです。と考えます。
取りまとめ団体に気が引けてボランティアしないのは全くのチグハグなので
興味ある方はぜひ団体に迷惑をかけてボランティアに参加してほしいと思います。
人の手は足りていません。

こんなところでしょうか。

個人的に、先日の記録の中では書き損ねてしまったのだけど、
出張間の帰国のたびに一度は東北へ足を運ぶ、というのをポリシーとして
やっていきたいと思っています。なので次の東北は9月中旬ですね。
インドのお土産なんかを持っていったら面白いかしら、なんて考えています。

こんなところです。
では、おやすみなさい。
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by kan-net | 2011-08-02 01:47 | 勉強・見学
東北旅行記録 写真
写真を載せます。
Picasaのアルバム(MixiとFacebookも)には無秩序にたくさん載せるので、
もう少し見ようかなと思ってくださった方はそちらをご覧ください。

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1日目(7月25日)視察

気仙沼。

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気仙沼。

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気仙沼。

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気仙沼。

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気仙沼向洋高等学校。

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気仙沼~南三陸の間。橋桁がない。

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南三陸。

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南三陸。

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南三陸。

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2日目(7月26日)気仙沼ボランティア

気仙沼ボランティアセンター。

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唐桑地区。

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ボランティアさせていただいたお宅。

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大漁旗。かっこいい。

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3日目(7月27日)一関周辺観光

厳美渓。

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厳美渓。空飛ぶ団子。

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厳美渓。空飛んでいる団子。

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達谷窟。

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平泉。中尊寺。

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平泉。弁慶どの。Do-Nothing Case。

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平泉。弁慶どの。With Project Case。

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平泉。毛越寺。

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平泉。わんこそば。

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以上。
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by kan-net | 2011-07-31 15:05 | 勉強・見学
東北旅行記録 その3/了
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めかねながら書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その3
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2011.7.27 16:50 東京へ戻る新幹線にて

2日目は気仙沼ボランティアセンターを訪ねて気仙沼でボランティアに参加した。個人参加している人がけっこういるようだったが、中にはハワイ?からのボランティア学生集団や、他県からのボランティア団体なども見られた。

参加にあたってホームページを調べていると、長靴やゴム手袋、ボランティア保険への加入などが必要だと書かれていて、参加できないかもしれないと心配していたが、実は用意がなくてもすんなりと参加できた。必要なのは健康な身体一つだった。責任ある行動のとれる人であれば誰でもいつでも参加できるのだという感じ。考えてもみれば、責任ある行動さえできるのであればモノの用意がなくてもボランティアへの参加資格は既にあって、そこで指定のモノがないことでボランティア団体に迷惑がかかるのではとか、足手まといになるのではとかいう懸念は、たいていの場合にお門違いなんだろう。ボランティア団体にちょっとくらい迷惑をかけるとしても、被災地・被災者のために行動をすることのほうが大事。といってあまりに不準備で参加を断られたら、そのときには帰ればよい。漠然と抱いていた「ボランティア参加への壁」は、思い込みだった感じ。この誤解がなければもっと早く来られたかもしれないのだが。

活動場所は市内の唐桑地区というところだった。自衛隊から提供されたテントの組み立てと、家屋の清掃・ゴミ出しを行った。チームは男6人、女2人の8人体制で、あと家屋清掃のお宅ではRQという東京の団体の方が4人来られていた。唐桑地区は平野部が狭く、すぐ後ろが高台になっていた。少し上れば、きっと逃げ切れた。みんな逃げていてほしいと着いた瞬間に思った。

午前中のテント設営では、大工だったおじさんの倉庫として使うためにということだったのだが、作業開始当初にその目的を知らされておらず、テントが汚れてしまったときにはとても慌てた。というか、おじさんが依頼主の被災者であることをしっかり認識しないまま作業をしてしまったりと、たいへん申し訳ないことをした。

昼からの家屋清掃は、また違うお宅だったのだが、こちらではゴミ出しをした。でも、ゴミなんて元々はなかったのだ。立派なお宅で、たくさんの布団や洋服があったが、みんな棄てた。ゴミの山の中に、息子さんだろうか、結婚記念の写真があった。おばあさんに聞くと、もういらないって。本人たちのところにあるから、と言った気がした。うまく聞き取れなかったのだけど。でも、たとえそうでも、とても気が引けた。記念写真だなんて、そんな、ボランティア体験談でよくありそうな、そんなものが目の前に落ちていて、それを棄てることになるとは、思いも寄らなかった。でもまさにそうしたことが、日々、まだ続いている。まだ唐桑地区にはぐしゃぐしゃに壊れた自動車だって回収されないまま放置されている。それが、衝撃だった。地震発生から、137日目。

お昼の休憩時、気仙沼ボランティアセンターからの8人で昼食をとった。そこで初めて知ったことに、8人のうち3人が、気仙沼の被災者だった。身内の方の家が流された話、思い出の地が何もない更地になった話、命からがら工場の屋上に避難して、周囲で火の手が上がるのを見ながら、流されてきた船が工場に突撃してきたらと不安でいっぱいだった話。自分だったら話せるだろうか。話すしかないのかもしれない。何食わぬ顔で一緒にボランティア活動をしているけど、想像できないような心境で、またはそうした心境をへて、今こうしてここで活動しているんだ、と。それでどう、とも言えないけど、そう思った。

RQの方も含めて2人、無職の方がいた。2人ともとてもよく働いていた。聞くと、ボランティア活動をしてもう長いらしい。ボランティア参加者については批判的なものを含めて様々な議論があるように思うが、長く継続して動けるボランティアはやはりとても大切だし、彼らの様子を見ていて、ああ立派なことだなと思った。長くいる人がボランティア活動チームの核になって、自分のような単発の参加者が手足となって働く。

ボランティアの活動時間は夕刻3時までとなっていた。健康管理は重要だし、継続が必要とされる話なのだ。それで帰るというとき、おばあちゃんと奥さんが以前まで営んでいた寮の大漁旗を見せてくれた。たくさんあるから欲しけりゃもっていきなって。もらわなかったけど、かっこいい旗だったな。今度やっぱりもらいに行こうかな。それからおばあちゃん、街が賑やかになったらまた遊びにおいでね、ありがとうねって言ってた。そうだよね。こういう言葉も、なんだかボランティア体験記によくありそうだけど、なんでそんなよくありそうなことを言うのか、おばあちゃんを見てわかった気がする。たぶん、やっぱり寂しいんだと思う。いろいろなものが、悉く壊され、流されて、仕事もご近所さんもない。でも何とか生きていかなきゃって、そう思ってボランティアに支援要請をしたんじゃないかと、勝手な想像だけど、思う。そうしたら12人もの人が来て、やること自体は悲しい掃除やゴミ出しだけど、でもその場所で人の声がして、会話して、動きがあることって、ちょっと嬉しかったんじゃないかと思う。でもみんな帰ってしまう。また動きも音もなくなってしまう。そういうのって、きっとすごく寂しくて、だから、行ってしまうことはわかっていても、また戻ってきてほしいと願われたのだと思う。

もう一度、いや今後何度でも、東北に足を運ぼうと思う。もちろん無理のない範囲でではあるが。例えば年内は未だ初期的な段階の、今回のようなボランティアの手が必要とされ続けるのではないかと思う。本当は、国が本気で動けば、こんなに長く初期的なボランティア活動が必要ということにはなり得ないと思うのだけど。まあでもそれを言っても始まらない、もし現実にその必要があるのであれば、僕も時間のあるときにはまた参加しよう。そうやって参加して足を運んでいれば、次の段階で求められる活動も見えてきて、来年も足を運ぶ口実が見つかるだろう。それを続けていけば良い。

ネタがなくなったら観光に専念したって良い。一緒に活動した被災者のボランティアの方が言っていたのは、観光も立派なボランティアだって。だからもっとたくさんの人に観光に来てほしいって。やっぱり、人がいる、そこに人がいるっていうこと自体が、元気や活力の源になるんだと思うし、観光をすれば具体的にお金を落とすことにだってなるわけだし、本当に良いことだと思う。だからいろんな手を使って、東北にまた行こう。そう決めたし、周りの人にも、一度でも何度でも、どんな目的でも、東北に足を運んでもらえたらいいなと思う。

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以上で、手記の記録終わり。

なお3日目は一関周辺の観光地である、
厳美渓と平泉を観光した。
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by kan-net | 2011-07-31 02:34 | 勉強・見学
東北旅行記録 その2
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めかねながら書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その2
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2011.7.26 一関 厳美渓となりの旅館にて

2日間、東北の被災地をいくつか見て回った。まず1日目はけんさくの運転で、気仙沼から南三陸を見た。けんさくには感謝している。

気仙沼で海が近づくにつれて、崩れかけた家屋の数が次第に増えて緊張感が高まった。海まで到達し、目に入ったのは、窓ガラスから内装までぶち抜かれて骨組みだけ残された建物、撤去も既に済んだのだと思われる更地、2回の高さなのにひしゃげた看板や街灯。地盤沈下の影響で、がたがたになった道路、海水の抜けない部分も。でも実は少し海から離れると高台があって、そこの家屋は見たところほぼ無事。海から数百メートル?離れたところなら意外とそこも無事だったりして。力学的には、そこには理由があるのだろうけど、でもどうして、ここに住んでいた人たちの暮らしがこんなにも破壊されねばならないのだろう、と思ってしまった。土木の観点からは、なぜココは飲まれてココは飲まれなかったのかを、いちいち科学的に解明し理解する必要があると思う。

けんさくと合流してから、その近場の別の漁港へ連れて行ってもらった。家庭にあったのであろう、小物入れのかごや、子供のものらしい小さな靴が落ちていた。普通の、普段の生活を送っていただけなのに、本当に思いも寄らないことが、突然、身の上に降りかかったのだと思うと、その悲しさや無念さは計り知れない。近くで、重機による撤去作業が進んでいた。ゴミになるはずのなかったものが、次々と処分されていく。今となれば、もちろんその作業は必要なのだけど。

車で走ると、最初に見た様子よりもよりひどく、広く被害を受けた地域を目にすることになった。気仙沼向洋高校は、3階までぶち抜かれていた。橋桁が流失した鉄道橋跡もあった。駅舎は丸々なくなっていた。しかし中でも、このように書いて被災の事実に大小をつけたくはないが、しかし中でも南三陸の様子が衝撃的だった。見渡す限りの、平地。逃げようにも、高台なんてすぐにはなかったんじゃないかと思う。津波は数キロ先まで入り込んだんだろう、破壊された家屋が内陸のほうまでずっと続いていた。海から迫ってくる津波を想像しただけでも、本当に心底おそろしい。今となっては寂静としている海を見て、ホテルへの帰り道、海のことが本当に憎たらしくてたまらなかった。

しかしそれにしても、恐ろしい威力だと改めて、いや初めて知った。こんなにも高く、激しく、とめどなく襲ってくる津波に対して、何ができるというのだろう。土木技術者うんぬんと意気込んで見に行ったけど、これはもう、この破壊力は、想像の粋をまさに超えていて、これを抑えこむことなどやはりできないのではないかという思いがよぎる。でも、それが土木技術者としての答えにまったくなっていないことを知る。自分は、土木はやはりハードで社会を守り導くべきであって、ソフトはあくまで補足としての手段であると思っているのだけど、今回のような強力な津波はハードで抑えこむことが難しいと認めるとしても、土木はそれでも最大限に被害を食い止める、または遅延させるハードを目指し続けるべきだし、それを補う手法としてのソフトも拡充していき、やはり命を守り抜く、確固たる役割を果たしていかなくてはならない。例えば今回、ものによるけども鉄筋コンクリートの建物のなかには、津波によって内装が持っていかれていても、構造としては耐え抜いたものがある。話に聞くとそうした建物の屋上にて難を逃れた人が実際にいるのだ。こうした鉄筋コンクリートの建築物の配置計画、民間ビル等も含めた有効活用とか。景観との兼ね合いその他いろいろ難しいにしても、今回の教訓を学び取って、現実に活かしていくことが何よりも大切だ。

(ここでいったん眠る。7月27日朝、つづき。)

もしも今回と同じような地震と津波が東海・東南海を襲ったとたら。いや例えばもし土木技術者の時間が震災前に戻せるとしたら、どこまで戻って何をするべきなのだろうか。それを整理しておかなくてはならない。震災発生の直前に戻るのだったら、荷物をまとめて逃げるように呼びかける。これは土木技術者じゃなくても同じことだ。では、もっと戻ったとしたら、防波堤の強化、耐震・対津波構造の研究開発と普及、震災探知・予測の精緻化、土地利用の制限と徹底、避難経路の整理。これで十分?なにか、抜本的に異なる視点からの発明が必要に思う。津波を抑えこむ何か。それがないと、結局は荷物をまとめて逃げてもらうことになってしまって、きっとそれでは全ての命を守りぬくことはできなくて、それは土木技術者として負けということなんじゃないかと思う。

僕は津波対策・地震対策の道に行きたいのだろうか。大学時代に力学は大の苦手だったが、やればできると思うし、そういう方向転換は実際あっても良いと思う。今回の訪問で得られたアイデアだ。

以上、1日目の所感。
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by kan-net | 2011-07-31 01:46 | 勉強・見学
東北旅行記録 その1
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めずに書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その1
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2011.7.25 12:30 一関~気仙沼移動中 大船渡線にて

東北に来ている。けんさくの東北出張にあわせて、ようやく出てきた。震災の発生直後から来ようと思っていたが、4ヵ月半が過ぎてしまった。

どうも遅くなってしまった。覚悟が定まらなかったのかもしれない。ヨルダンで、休日、観光に出ているときにニュースを受けた。信じがたく破壊された町の映像と、アラビア語の解説文字が映し出されているのを、全く実感なく眺めた。ああそうか、今気付けば、僕は日本の映像メディアを通して震災の様子を見たことが殆どないんだ。それで、もしかしたら、なにやら恐ろしく信じたいことができたという意識を、断片的な情報からむやみに全体化しているだけなのかもしれない。なんて、そうであってくれれば良いけど。現実がどうなっているかは、今から目にするんだ。これもまた断片的であるとはいえ。

しかし今から僕は何を見るのだろうか。破壊されてしまった町を見るかもしれない。ひとつひとつの家、家族の跡を見るかもしれない。それを見るのは、つらいし、こわいと思う。さっきの覚悟というのは、それを見る覚悟がなかったんじゃないかと思ったのだけど、じゃあ今ならあるかというと、まだないような気もする。でもとりあえず僕は今ここに来て、そこに向かっている。

東北に来たことの意味。ひとつには、自分自身としての整理というのがある。先に書いたとおり、あまりにも実感のない、それでいて大変な信じがたい出来事が、自分の生まれ育った国で起きたということ。適当な表現が見つからないが、スマトラやチリの時には、ここまでの心の不安定さには、正直ならなかった。今回は、どうしても、もやもやした部分がある。いったい何がどうなっているのか。それを、自分自身として少しでも理解したい。整理したい。

もうひとつには、土木技術者としての、当然の使命として。今回、「想定外」の規模の「未曾有」の災害が日本を襲ったわけだが、土木技術者としては、何があっても人の命、暮らしは守らなければならないと思う。だから、いくら「未曾有」でも、今回こうして多くの犠牲者の方をだしたことは、土木の敗退なんじゃないかと思う。この負けの現場を目に焼き付けて、これから先、人の命を守り通すという決意の光景にしたい。

気仙沼駅に着いた。けんさくを待つあいだ、駅前コーヒーショップで続きを書く。

先の書きぶりの補足。自分はこの先ずっと土木技術職を続けると考えているわけではないが、この先ずっと土木技術者でありたいと思っている。そういえるほどの技術力も知恵も知識もない現状ではあるが、思想については自分なりに育んできたつもりでいる。土木技術者というあり方が、今後どのような職についたとしても自分のベースになると思っているので、この地で見ること、感じることを自身の記憶として自分の中に植えつけたいと思う。

けんさくはまだしばらく仕事が続くようだ。

この四月、エルサルバドルで要人とお会いした際、日本が大変な状況となっている今、海外援助をしている場合なのかという話がふと持ち上がった。どうなんだろうか。日本にも海外にも、昔も今もこの先も、程度は違えど困っている人はずっといるのだと思う。だからその困窮を解消するための取り組みは時と場所を問わず常に行われるべき。ただそのためのお金が税金をもとにしているということ。それを踏まえたバランス、配分が難しい。直感として、この災害が起きてまず、海外援助をすぐにでも削って国内に充てたらどうかと思った。

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ここでコーヒーショップを出る。

気仙沼港

南三陸

一関のホテルに宿泊し、1日目は終了。
手記に追記なし。
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by kan-net | 2011-07-31 01:09 | 勉強・見学