カテゴリ:通信( 6 )
【ハリキリ通信#006】ありがとうカラチそしてヨルダンへ
2010年12月28日
アンマン(ヨルダン)にて

年の瀬。皆様お元気ですか。風邪などひいてませんか。忘年会は楽しかったですか。心置きなく新年を迎えられそうですか。え、何か忘れてますか?あ、そうですね、

はい、ハリキリ通信です。今回は中東のアンマンより、考えさせられたハリキリの末路についてご報告。

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今年のハイライトは何と言ってもカラチだった。初めてカラチに着いたのが2010年4月14日、それから3度に分けて11月14日までの合計143日間、5ヶ月弱をカラチで過ごした。もはや我が人生における都市別の滞在期間ランキング、カラチは堂々の単独4位である(富山・東京・横浜・カラチ!)。この案件自体はまだ続いているのだけど、僕自身の稼動契約期間は既に消化してしまったため再び現地へ赴く予定はない。従ってカラチにて思ったことをここらで総括しておく必要がありそうだ。

まずカラチの案件がどのようなものかを極めて大まかに紹介すると、1600万人という膨大な人口を抱える大都市カラチにおいて、今後の人口増や経済発展等を予測し、必要な公共交通を計画するというもの(今は公共交通がほぼ皆無)。そのため交通調査や関係者ヒヤリング、構造的検討、財源・維持管理体制の検討等をしており、、(これ以上の説明は有料でお請けします)

僕の担当は交通調査だった。しかし治安情勢の悪化に起因する調査の延期が相次いだことで、実はその交通調査はまだ終わっていない。残ってしまった分は同僚に跡を継いでもらった(彼はカラチで新年を迎えます。。)。

僕自身としては精一杯取り組んだつもりでいる。治安も悪ければ国民性も大きく違うこの難しい環境下で、ウルドゥ語の勉強含めて物事を進めるための最大限の努力をしてきたし、その結果として失敗もあったけど関係者からは概ね信頼されていたと思っている。その証拠にほら、帰り際にはお別れ会を開いてくれたし(その前に依頼した仕事に対応してくれと言いたかったよ、というか言ったよ)、相手国政府の親玉からも直々の電話をもらったもの(テメェが帰ったら残りの仕事どうするんだ、という追及だったよ)。

そんなわけで程々に納得して帰国しようと思っていたのだけど、その最後の最後になって自分の根本的な思い違いを痛感させられたのだった。それはある日、お別れ会その2(そう、2回あったの)で役人のおじさんと話しているとき。「二十うん年間、このカラチに公共交通を築きあげるためたくさんの調査や計画をしてきたが、何もできやしない。もう俺も疲れてきた。けど俺は絶対に公共交通が必要だと思うから諦めない。」おじさんはその昔、権力争いに巻き込まれて出世コースから脱落、恵まれない環境にありながら黙々と目標に向けて努力を続けてきたのだった。我々の案件に対して他の人と比べても非常に協力的だったのにはそういう理由があったんだ―おじさんの言葉を聞いて一瞬、口を噤んでしまった。

僕はそれなりにうまく仕事をしていたかもしれない、交通調査を進めることはできた、けれども良い仕事をしたのだろうか。「うまく仕事をする」と「良い仕事をする」とは違う。「良い仕事」の考え方もいろいろあるけれど、おじさんの言葉を聞いて口を噤んでしまうようで、真摯に仕事をしてきたと言えるのだろうか、何か思い違いをしていたのではないか―。正直、シマッタと思った。気づいたときには帰国の直前になっていた。

こんな思い違い、学生の時分なら当然のこととして気づいただろうけど、社会人になって意識が鈍ってしまったのだろうか、気づかなかった自分にも全く驚いてしまった。幸いおじさんが気づかせてくれたので、恥は承知の上でハリキリ通信に記録して、自らの意識に強く焼き付けようと思ったのでした。

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という具合の第6号でした。その後11月19日から12月29日までがここヨルダンへの出張で、自分なりの誠意と熱意を持って仕事に取り組んでいるつもり。良い仕事ができるかどうかはこれからが正念場だなと思っています。ちなみに今回はアラビア語の勉強をちょっと手抜きしたところ、関係者の英語力が軒並み低い!テンポよく仕事を進めるためにアラビア語のコミュニケーションは必須となると、ちくしょーやっぱり言語の勉強も必要じゃないか…良い仕事への道のりは長いなと再認識したのでした。というのがハリキリの末路です、はい。

やれやれ年の瀬なのに熱心に書いてしまった。あと12時間後には空の上、ひさびさに日出る処の国ニポンに帰れると思うと胸が高鳴りますが、時刻は夜中の3時半を回りました。中東って時差が7時間、思ったよりも遠くない?あ、そんなことないですか、そうですか、

では良いお年を!

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写真① アンマン城、ヘラクレスの門。青すぎる空。
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写真② 死海。みんな浮いてます。図らずも僕、浮くのは得意でした。あれれ。
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※お礼※ 随時ハリキリ催促のメールをいただきありがとうございます。実際にマジハリキッテいるときにこの通信を書くのは難しいと痛感しています。ですがこうやって記録を残すことに意味を感じていますので、できるだけコンスタントに書くようにしたいなぁと思ってはいます。

※出張予定※ 2011年は1月19日から2ヶ月間アンマンの予定です。

※最後に改まって※ 2010年はお世話になりました。2011年もよろしくお願いいたします。良いお年を!
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by kan-net | 2010-12-28 10:42 | 通信
【ハリキリ通信#005】私とウルドゥ語
2010年7月28日
カラチ(パキスタン)ホテルにて

週末のこと。昼下がりのビリーズブートキャンプの後、体重計に乗ると壊れている。取替えにきたホテルマンが動作確認のため試計測したので「65.4kg, OK!」と言ったところ、「NO! NO Sir!」と激しい剣幕で反論され、手にしていた荷物を置いて再計測。確かに彼は63.2kgでした。

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約11ヶ月ぶりとなった前号、多少おっかなびっくりの発信であったが、思いも寄らぬ多くの方から感想や激励のメールをいただいた。感謝感激である。その声を受けさらに調子に乗って、まだ興奮冷めやらぬうちに第五号を書いてしまう。

前号の末尾にあった「ありえるトピック」の中でも圧倒的な人気を集めたのは目下の予想通り「そしてピクニック」であった。しかし残念ながらこれは急激な治安悪化により実現しなかった(前号の時点で実はピクニックは未実施なのだった)。そこで今回は2番人気の「私とウルドゥ語」。

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「2010年はカラチに専念してね」とエラい人からの冷徹な宣告を受け、僕は本屋に直行してパキスタンの国語である「ウルドゥ語」の本を探した。想像されたことだったが、やはり、ない。ネットで「旅の指さし会話帳 パキスタン」を取り寄せた。

ウルドゥ語と言われも初耳な人が殆どであろうが、「アッサラーム・アレイコム」というと地理の教科書で目にした覚えがある人もいるだろう。アラビア語と同じで、「こんにちは」という意味になる。返事は「ワレイコム・サラーム」。

ウルドゥ語は言語学的にはインドのヒン(中略)

そうこうしているうち最近では、運転手に行く先を告げるときはウルドゥ語でないと聞いてくれないし、ホテルのドアマンには毎日「とんでもなく元気」と答えないと預けた荷物を返してくれないという事態が発生しだした。先日オフィスで「Thank you」と礼を言ったところ、聞きつけた現地スタッフが横から割り込んできて「Hey Kan, You know what to say, ha?(おい、こういうとき何て言うんだ)」と詰るので「しゅくりあ(ありがとう)」と言い直したところ「More!(お前の気持ちはそんなもんか!)」と怒られ、「ば…ばほっとしゅくりあ(ほ…ほんとにありがとう泣)」とほぼ強制的に言わされた。

ウルドゥ語を覚えたことでかくも不利な立場に置かれるとは完全に想定外の展開である。しかしこうした数々の仕打ちも親愛の裏返しであると信じ、ここはプチジャパン大使の気持ちで大らかに受け止めることとする。

ところで当地にて頻繁に耳にする印象的な言葉は(英語だが)「It’s not my fault.(俺は悪くない)」。役所の官僚からピザ配達の兄ちゃんまで、身分の高低に関わらず何事かあるたびにこの言葉を口にする。こちらとしては誰が悪いのかなど聞いていないし興味もないのだが。常に自らの保身を図る彼らの言葉を聞くにつけ、また他人については平然と批判を展開する様子を見るにつけ、心底うんざりさせられるし未来への展望はますます霞んでいくのである。

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以上、おわり。「私とウルドゥ語」、思いのほかパンチ力不足。ブートキャンプを頭にぶつけるという荒業でカバーしきれたかどうか。

そして気づけば帰国まで残りわずか(31日夜着)。まだまだネタは尽きないのだが今回カラチからお届けできるのは今号までである。カラチには9月中旬にまた戻ります。それではまた。アッラーハーフィズ(さようなら)。

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写真① カラチの人々:
俺を撮れと主張してきた人々の写真をぺたぺた並べてみた。主張してきただけあって、みんな良い顔してる。

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※お礼※ 随所でご声援いただきありがとうございます。「Kanet」全体よりも「ハリキリ」に対する注目の方が高まりつつあることに緊張感を覚えます。
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by kan-net | 2010-07-29 05:03 | 通信
【ハリキリ通信#004】そしてカラチ
2010年7月15日
カラチ(パキスタン)ホテルにて

前略、計たった三通にしてよもやの廃刊も囁かれた本通信であるが、ふらりと立ち寄った日本で読者達の熱い声援を受けたのに気をよくして復活。約11ヶ月ぶり、ずいぶんご無沙汰でした。今夜あたり、ハリキリ通信の話題が花金の夜を席巻している様子が目に浮かぶ。

久々の通信、舞台はカラチ。パキスタン・イスラム共和国の古都にして今なお国内最大の商都として君臨する大都市。道行く男たちは皆一様に髭もじゃ、気温は40度で湿度は80%という「熱気むんむん」を具現化したようなこの地に二ヶ月間(渡航二回)いて何事もないはずがない。

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7月2日、約一ヶ月ぶりにカラチへ戻ってきた。容赦なき高温多湿、そこはかとなく漂うカレーの香り、満載にして街中を駆け巡るきらびやかなバス群、、紛れもないカラチである。ここでまた一ヶ月か、よし今回はもっと日本のコンサルとして気概の高いところを…などと物思いにふける僕に、再開を果たした友人たちは容赦なかった。開口一番「Welcome back! How was the trip to Japan!?(おかえり!どうやったジャパン旅行!?)」。いや帰国なんですけど…。口ごたえしようにも、彼らの満面の笑みと抱擁には閉口せざるを得ない。

愉快な連中である。ローカルスタッフは隙を見てはやってきて最近あった「面白い話」をしてくれるし(先日の話は「友人にマンゴーをあげようとしたら、あいつマンゴーアレルギーなんだと!信じられるかいハハハ!」)、邦人へのサービスが長い専属運転手は時折おもむろに「ソウソウ、ココデス。…アホンダラ!」と得意の日本語録を披露してくれる。市街地で見知らぬ強面の男たちが寄ってきて、すわ一大事!と思いきや「俺の写真を撮れ」(ウルドゥ語でよくわからないけど)だった。まことに愛すべき連中である。

といって彼らをまるっと丸ごと愛そうにも風習の違いという壁は高い。打合せに二時間遅れておいて謝罪の念を億尾にも出さないどころか「さあさっさと終わらせて帰ろう」という威風堂々とした態度には辟易させられたし、ランドリーに出した衣服に油性マーカーで部屋番号を書き込むというのは洗濯の概念を根本から覆す革命的試みであるとしか言いようがない。もはや愛や希望ではカバーしようのない現実的な差異であり、これはいつ如何なる状況下でも心朗らかに寛容を保つための修行の一種なのだと思うことにしている。

―さてまだまだ彼らの、パキスタンの紹介したい顔は数え切れないほどあるのだが、今回はここで話題を変えて特に気になる治安のことを少し紹介する。

誰もが漠然と抱くイメージそのままにパキスタンは安全な国とは言えない。毎日の新聞には「昨日の犯罪と事故」という枠があって、カラチ市内の地図を示しながら場所、発生状況、被害者の数と生死などが定型で整理され情報提供されている(今日の情報は2件の銃殺、1件の拉致、1件の強盗、1件の遺体発見、2件の交通事故死、3件の逮捕)。状況は年を追うごとに悪くなっているそうで、我々調査団が外出する際には常に警察の護衛がついている。ずいぶん物騒だがそれでもカラチは未だ安全な方で、北部や北西部ではタリバンによるテロが断続している。愛すべき人々の国ではあるが、これもまた見つめなくてはならないパキスタンの現実の一面である。

そしてますます悲しいのは人々が自国の治安について一切の希望を失っていることである。治安はこれからも良くならないしこんな危険なところへ外国人が来るべきではない、と話す者までいた。さらに人々は、行政は無能であり、警察は悪質であり、そこらへんのショップは悪徳商人で、人ごみの中には犯罪者がいると思っている。ここまで徹底的に自国を信頼できないで、この先に明るい未来を描くのは難しい。今回の仕事を通して、本筋の交通事業での貢献は勿論のことながら、人々の心のどこかにあるこの暗く重い部分に少しでも光と和らぎをもたらしたいと思うようになった。どうすれば良いのかは、はっきりとはわからないけれども。善き人たちの、悲しい国である。

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…ああ、また長々と考えて長々と書いてしまった。こんなだから次号を書く気が起こらないのだが、書いてしまったのだから仕方ない、送ってしまえ。次号が五文字で終わっても文句を言わないでください。

次号ありえるトピック
・ありえないバス
・ありえた雨
・私とウルドゥ語
・そしてピクニック

稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございました。

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写真① ナイトカラチ:
滞在中のホテル屋上からの一枚。けっこう大都市でしょ。

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※お礼※ あたたかい応援の声を下さった方々、ありがとうございました。おかげさまで本号が脱稿しました。
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by kan-net | 2010-07-16 07:17 | 通信
【ハリキリ通信#003】不確かな一歩
2009年8月30日
マニラ(フィリピン)ホテル隣接スターバックスにて

ごきげん。第二号では第一号を上回る超大作でマニラライフをお伝えしたわけだが読み返してみて我ながら駄作である。思わぬ好評を博した第一号に気おされて筆が渋ったか。第三号では気分を改め、ホテルで起きた椿事について思いを巡らせよう。

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それは2009年8月22日の出来事。いつも通り物憂げな雨の朝を迎え、いつも通り物憂げにベッドからの脱出を試みる。まだ寝ていたい、だが今日も仕事だ土曜日なのに。嗚呼しんどい、嗚呼でもこれは思い描いた我が開発人生のプロローグ。目を覚ませホリキリ、今日もまた世界の平和と幸福に向けて確かな一歩を踏み出すのだ…!

十分に自己問答を愉しんだ末、4発目の目覚ましにも背中を押されていよいよ踏み出した僕の一歩は忘れもしない、なんと、着水。ホテルの床が水浸しになっていたのだ…!「確かな一歩」どころか驚きのあまり瞬時に足を引っ込め、自然と体育座りである。前夜からずっと降り続いていた雨水であることは明らかであった。ベランダとの間を仕切っているガラス戸の隙間から入ってきたことは容易に想像できた。

いつまでも体育座りしているわけにはいかない。最深部でも水位は1cm強という程度であったから身動きはできる。もたつきながらも身支度を完了して団員の集合場所へ。僕が最後に集合したのでそのまま事務所へ移動した。フロントにひとこと言おうかとも思ったが、ルームメイキングに入るスタッフが善処してくれるはずだと捨て置く。

--無論、期待は完全に裏切られた。午後4時半ホテル着、若干の水位低下を確認。フロント直行。その後はホテルスタッフ総出のお祭り騒ぎに。「起きたらこうなってたんですか?」そうです。「もしかして…昨夜の雨がガラス戸から入ってきたんですかね!?」…そう思います。「えーと…どうします?」え?「んー…あ、部屋替えちゃってみちゃったりしたらどうでしょう!?」そ…そうですね。

若干の高揚感を抑えきれないスタッフたちを残し、僕の部屋は3階から一気に出世して11階へと繰上げとなった。副支配人オススメのこの新しい部屋の特徴はなんと言っても壁一面を彩る鏡である。…その心は!?なお同じく3階の部屋にいた団員の部屋は水浸しにこそならなかったものの「カーテンが水を吸っていた」そうである。つくづく思う。客に自分を見つめ直す機会を提供する前に、まずホテルの造りを見直したほうが良いのではないか、と。


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着水した瞬間に「ひとネタ仕入れた」と悟ったことを告白しておく。書き上げあぐねていた第二号を脱稿し第三号を執筆する意欲が沸いた瞬間であった。次号を待ち望む通信ファンの想いがガラス戸を超えて伝わった出来事であったとも言えるかもしれない。

さて残りのマニラ滞在期間もいよいよ一週間を切った。表現したいネタは枚挙に暇が無いが仕事の追い込みも熾烈を極めつつある。帰国前に第四号を配信できるかはホリキリのみぞ知るところ、どうか読者諸氏には首を長くして待ちくたびれていただきたく願うばかりである。

それではまた、ごきげんよう。

追伸: 政権が交代するようだ。政権交代、新型インフルエンザ、地震と留守中に日本もずいぶん賑やかな夏だったようで、帰国して仲間はずれにならないか心配である。

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写真① 水際:
8月22日朝の様子。ベッド周りが完全に包囲されている。荷物は一通り収納してあったので被害を免れた。


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写真② 自己研鑽部屋:
住人移転後の新しい部屋。寝ても覚めても自己研鑽。

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※お礼※ 第二号を読んでいろいろ温かいメッセージをくれた皆様、本当にありがとうございました。
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by kan-net | 2009-08-31 00:16 | 通信
【ハリキリ通信#002】マニラライフ
2009年8月25日
マニラ(フィリピン)にて

ごきげんよう。第一号からずいぶん間が空いてしまったため死んだのか廃刊かなどと様々な憶測を招いたと思われるが、老いてなお私は元気であるし執筆意欲も衰えていない。さて今回はフィリピン・マニラでの生活の様子をご紹介しよう。

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マニラの朝は早くも遅くもない。カーテンの隙間から射し込む眩しい朝陽に目覚め、窓の外を見ると新鮮そうな果物を台車いっぱいに積んだオバサンたちが常連のお客さんや同業者と楽しそうにお喋りしている、なんていう所謂「東南アジア」の爽やかな朝とは無縁だ。まず今ここマニラは雨季。眩しい朝陽どころか夕方と見まがうようなドンヨリとした外の薄暗さに寝坊かと焦って飛び起きる。眼下の道路に目をやると思い思いの装いに身を包んだ人々をまばらに乗せたジプニーが、排気ガスを残して走り去っていく。そんな朝だ。

人々は9時のオフィスアワーが近づくと、思い思いの装いに身を包んで車やジプニー、鉄道に乗り込み職場へ向かう。我々調査団もしれっと8時半にホテルを出発し、車で事務所へ向かう。ホテルから事務所までの距離はたったの2km足らず。しかしその道のりの途中には恐るべき難関が待ち構えている。その名も「エドゥサ通り」。そう、足を踏み入れたが最期、未曾有の大渋滞に人々を招き入れ、完膚なきまで足止めを食らわせるというので巷で話題沸騰の、あのエドゥサ通りである。先日はこのエドゥサ通りの凡そ400mを通過するのに約20分間かかった。侍ハードラーならば障害があってもものの48秒で走り抜けてしまう距離だというのに、である。こうした大難関を乗り越えながら、我々を乗せた車は2kmという遥かな道のりを合計約5~30分間かけて走り抜ける。渋滞に身を任せながら脳裏をよぎるのは、歩いたほうが断然良いのではないかという思いと、少しでも前に食い込もうとして渋滞を悪化させているドライバーの賃金である。

事務所は相手国省庁の支部敷地内にある。到着して最初にすることはインターネットの確認だ。メールチェックなどという高尚なことなどまさか望むまい。インターネットが利用できるか否かの確認をするのである。マニラの事務所で仕事をして3週間だが、3時間以上正常に接続できたのは4日間程度であろうか。建物全体のインターネットが停止しているらしく、ローカルスタッフに聞くと「雨の影響だ」と言う。ぬかせ。こんな時につくづく思うのは、ルーターだの何だのといった機器の扱いをちゃんと勉強しておけば良かったということ、そして支部とはいえ省庁がこれじゃアカンヤロである。

昼食は敷地内の食堂で摂る。これくださいあれくださいとバアサンに一つひとつ取ってもらって会計に進む東南アジアにありがちな飯屋で、食費も高々60~100ペソ(120~200円)と大変お手ごろ。味は割と良く、フィリピンでの職歴長き先輩が「フィリピン料理ならこの食堂が一番マシだ」と言い放つほど。それは流石に言い過ぎだろうと思うが(というか別に褒め言葉にもなっていないが)、これまでに行った数々の切ないレストランを思い浮かべると、確かにこの食堂は比較的まともなフィリピン食を体験できる数少ない隠れスポットと言えるかもしれない。なお個人的に一番しっくりくるのはいつも微笑みが素敵な右端のバアサンがよそってくれるコンソメスープ(具なし)だ。

「ガンガンに冷房をきかせていることが一種のステータス」とは途上国でよく言われることだが、フィリピンもまたその例に漏れないようだ。外気温の高まりに煽られたかのごとく、昼過ぎになると事務所の冷え込みは極限に達する。荘厳にそびえる巨大クーラーはけたたましい機械音を立ててその威力を増し、麓で逃げ惑う邦人(つまり僕)に牙をむく。遠のく意識の中、吹き飛ばされる書類を必死に押さえる邦人の目に飛び込んでくるのは扇子まがいのもので涼をとる半袖のローカルスタッフ。嗚呼、異文化交流(?)。なお来比一週間後にマニラへ遊びに来た盟友スギモリ君からジャージを借用し、その後は比較的平穏無事な事務所生活を送っている。ありがとうスギモリ。

仕事を終えてホテルに戻った後、夕食は希望者が集って周辺の料理店で摂る。我々の滞在しているホテルの一帯はちょっとした繁華街になっており、各種料理店が顔を揃える。その顔ぶれの豪華なこと。日本料理(フィリピン風)、中華料理(フィリピン風)、スペイン料理(フィリピン風)、さらには地中海料理(フィリピン風)まである。肝心の味は、、料理というのはやはりどうしてもフィリピン人の創作意欲を掻き立ててしまうらしい。なぜその調味料を入れてしまうのか。なぜカドをとらない!時には疑問を通り越して怒りすら感じるほどであるが、中には単純に美味い店もあるので今後仕事や旅行でマニラに来る読者はぜひホリキリまでご一報入れられたし。(ただしケソン市周辺に限る。ケソン市とは東京で言うところの「調布みたいな位置づけ」(ベテラン調査団員談)である。)

夕食の後はホテルに戻り、ビールを飲みながらインターネットにアクセスして本邦からの業務命令に対応する。夜も更けてくるとホテル下方から心地悪い重低音。二階に入っているクラブが夜通し大音量で存在をアピールしてくるのである。わかった、わかったから黙ってくれ。最近ある事件が発端で僕の部屋が3階から11階へ移ったのだが、このクラブから漏れ聞こえる音楽なんと11階までも熱心に追ってくる。夜1時ごろ、とうとう観念して眠りにつく。

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一日間は凡そこのような調子で過ぎ去っていく。3週間以上が経過しマニラ生活にも徐々に慣れてきたところではあるが、ここで紹介したような場面では外国にいることを改めて実感する(つまり常時実感しっぱなしである)。帰国が近づく頃にはフィリピン料理にも馴染み愛するフィリピン娘もこしらえ日本に帰りたくないなどと喚くこともあろうかとは当初から毛頭思わなかったが、やはりその見込みはないようである。しかしそんな思いを見抜いてか否か、奇しくも帰国日が4日間延期されることとなった(9月4日帰国)。

したがって3週間で第二号までしか配信されなかったハリキリ通信も滞在中にまた配信できるであろう。ネタは腐るほどあるのだ。読者たちの待望論の高まりも感じる。差し当たり第三号では僕を11階へと追いやった事件について、近日中に配信予定である。

それではまた、ごきげんよう。

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写真① EDSA通り:
いつも大渋滞を巻き起こすエドゥサ(EDSA)通り。写真は日曜日の夕方だが、都心へ向かう方向に渋滞が発生している。片側6車線と大変広く、写真左端はジプニー専用レーン、左端から二番目にはバス専用レーンと少しは整備されているが、写真奥のほうにも写っている車線割り込みなどといったマナーの悪さは渋滞を深刻化させる一因となっている。


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写真② SanMiguel:
フィリピンのビールといえばこれ、サンミゲル(San Miguel)。写真はホテル近くのスーパーで購入した5種類。メジャーどころは右上の「Pale Pilsen」と左下の「Light」。全体的に薄口なので女性にも飲みやすいと思われる。値段はPilsenなど安いものが約20ペソ(約45円)、「Premium All-Malt」(真ん中下)など高めのものでも約45ペソ(約100円)と破格。

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by kan-net | 2009-08-25 19:35 | 通信
【ハリキリ通信#001】フィリピン上陸
2009年8月3日
マニラ(フィリピン)にて

フィリピンはマニラ、ケソン市のホテルより記念すべきハリキリ通信第一号。初出張に際して同期を初めとする多くの仲間たちに快い激励の声を受けたので、その恩返しということで素敵なコラムをなんと無料で皆様にお届けするという贅沢な企画である。記念すべき第一号は昨日すなわち出発日に拵えたエピソードをまとめて紹介したいと思う。


出発日の8月2日、朝4時半に目覚ましの音に起きた僕を待っていたのはなんとも幸先の悪いことに確実な微熱感であった。しかしそこは薬剤師の息子、どうにかせねばと朝食の後に薬を飲んだのだが、この薬が驚異的な威力を発揮した。すさまじい睡魔。「JAL741便ご搭乗の方いらっしゃいませんかー」との声に目覚め、搭乗ゲート近くの椅子に一人取り残されていたときには仰天した。最近読んだ井上靖の「敦煌」なる本を思い出した限りである。

薬はその後も威力を発揮し、機内でも僕を非常に深い眠りへ誘ってくれた。おかげで体調はひとまず回復したように思われる。しかし今後、移動日の朝に薬を飲むのは考えものである。

ニノイアキノ空港でメンバーと合流すると現地スタッフが車を回して待ってくれていて、そのまま乗り込んでホテルへ移動した。学生時代の安旅行ではまずエアポートタクシーをつかまえ(つかまり)、若干の値段交渉の後に無理くり行き先を伝えるというのがお決まりだったわけで、こうホイホイとホテルまで連れて行かれるというのは非常に不思議な感覚だった。車窓から見たフィリピンは2年前の夏と変わらず、雑然とした町並みの中に独特の廃墟感を漂わせていた。

ホテルに着くと、予約の一部屋がまだクリーニング中だと言う。メンバーの部屋で暫く待たせてもらったがなかなか終わらないようなのでフロントに電話すると、「予定していた部屋のエアコンが不調なので別の部屋に泊まってもらう」とのこと。そしてやってきたボーイに案内されるままついていくと、「Wow, too early!(お前むっちゃ早っ!)」。なんと3人のオッサンが陽気に音楽を聴きながら掃除をしていたのだ。too earlyて…むっちゃ待たされてるよこっちは(40分間ほど)。「Come in! Be relaxed!!(お入りになって!おくつろぎなさって!)」とボーイもオッサンも言うので妙に乗せられて部屋に入ると、「Very good Music, very good. Yeah!?(いやマジで良いわこの曲。マジで。そうっしょ!?)」と親指を立ててオッサン。「Yeah..(う、うん…)」と答えると、非常に満足そうな表情を浮かべながら音量をさらに上げ、鼻歌を歌いながら掃除を続けるオッサン。そんな情景にうっとりしているうちに彼らは掃除を終え、我々はガッチリと握手を交わして別れを告げた。


嗚呼、異国。。

夜はメンバーが大河ドラマを見終えてから4人で夕食に行った。フィリピンの料理はお世辞にも美味しくない。東南アジアの中でも群を抜いた美味しくなさである。国の発展と料理の味には何らかの相関関係があるような気がしていたが、今日の昼食時にメンバーが「フィリピンには王朝の歴史がないからねぇ」と言っていたのにはなるほどと思った。歴史がその国の発展に深く関わっていることを、大学時代の恩師もよく仰っていたのを思い出す。支配された時代を抱えながらもタイやベトナムはかつて王朝を築いた国であり、今日も順調に発展を遂げ/遂げつつあり、料理も美味い。フィリピンはと言えば王朝の歴史はなく、戦後の発展も途中で尻すぼみで、メシも、まずい。「メシの裏には歴史あり。王朝のありなしあり。」今日は新しい名言の記念日である。乾杯。ちなみにフィリピンのビールはけっこう美味い。

――そんな具合で初日は過ぎていった。こうして見てみると初日にしてそれなりのボリューム感ではないか。自分としてはやはり目を覚ましたら搭乗ゲートに一人きりだったあの瞬間が忘れられないのだが、あまりにも冒頭過ぎて(というか日本での出来事だし)せっかくの話題なのに出どころを見誤った感があり、惜しい。

いずれにしてもハリキリ通信第一号は以上である。第一号だからといって張り切って書きすぎた感が満ち満ちていて、新しいノートの最初のページを髣髴とさせる。こうなってくると既に第二号の存在自体が危ぶまれるところではあるが、近いうちに読者たちからの熱いファンレターが殺到して再び筆をとらざるを得なくなることであろう。そのときに向けて、暫くは筆をあたためながらネタを集めておくことにしようと思う次第である。

それではまた、ごきげんよう。


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※お断り※ 探り探りです。
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by kan-net | 2009-08-03 23:30 | 通信