夏目漱石「吾輩は猫である」を読んだ。

言わずと知れた名作。
ひとつひとつの話が別に連続しているわけでもなかったので
常に鞄にしのばせておいて、電車に乗っているときなどに読んだ。
ただしそのペースだといつまで経っても読み終わりそうになかったので、
最近意を決して最後まで読むことに決め、昨夜ようやく読み終わったのだ。
結局読み始めてから半年くらいかかったことになる。
しかし読み終わってすっきりした。

猫の目線によって描き出される話の展開の仕方が絶妙。
全編を通して人間や社会への皮肉に満ちている。
人間はアホじゃないのか、と。
猫の目にもわかるバカバカしさがなぜわからんのだ、アホか、と。
「猫」が執筆されたのは今からだいたい百年前だけど、
漱石が皮肉の対象としたバカバカしさは今も着実に受け継がれているようだ。
でなければこの本を面白おかしいと感じるはずがない。

面白おかしいといえば、猫ならではの仕草の描写も面白かった。
例えば見モノだったのは、餅に噛みついて窒息死しそうになったときの猫の思考展開。
慌て苦しみ、何とか逃れようとしっぽをぐるぐる振ったり耳を立てたりねかしたりした後に、
「考えてみると耳としっぽは餅となんらの関係もない。要するに振り損の、立て損の、ねかし損であると気がついたからやめにした。」
一刀両断。
こういう描き方が出来るあたり、やはり凡人とはかけ離れた、
千円札に用いられてしかるべき逸脱した能力というものか。
僕も千円札に採用されるためには動物の目線くらい身につけたほうが良いかもしれない。

話の結びかたが衝撃的だった。
足掛け半年これだけ読んできてこんな終わり方かと、唖然としてしまった。
ただしこの結びかたに対して何らかの不平不満を言ったところで、
猫にしてみればバカバカしい不満であるということなのだろう。
「本の結びなんぞについてかくも熱心に不平不満を論うほど、人間というのは暇で仕方がないらしい。」
と言われそうだ。


かくなるうえは千円札に、いや一万円札に採用されたい。
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by kan-net | 2008-08-27 21:05 | 読書
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