あわや不条理
昨夜の帰り道、いつもどおり自転車で走っていたところに、友人からメールが。
肩からかけていたカバンを前カゴに入れようと思っていたこともあり、
いったん自転車を止める。と、反対車線側の歩道に知り合いの姿らしきものを認める。
おやーと思いながらきょろきょろしていたら、前方から警察官の人がやってきた。

ポリス「こんにちは、人待ちですか?」

か「いえ、そういうわけでは。ちょっとメールが来たので。」

ぽ「そうですか、いや、きょろきょろしてらしたから、あそこにパトカーがあるからかなと…」


なるほど30mほど前方にパトカーが止まっている。
気付いてはいたが認識していなかった。

か「いや、全然そんなんじゃないです。」

ぽ「あ、そうですか。…念のため防犯登録の確認させていただいてもよろしいですか?」


そして確認が始まる。
確認の待ち時間がよっぽど暇なのか気まずいのか、ポリスはいろんなことを聞いてくる。

ぽ「大学生ですか?」

か「そうです。」

ぽ「何年生ですか?」

か「修士課程の一年生です。」

ぽ「そうですか。そしたら・・・」

か「あ、すみません電話に出てもいいですか?」


電話に出る。

か「・・・あ、うん。・・・いや、もう大丈夫。・・・うん、はい、じゃあまた後で。」


ポリスの質問は続く。

ぽ「この自転車どこで買われました?」

か「品川です。えーと…ジャスコです。品川というかもうちょっと…まあ品川です。」

ぽ「でもここらへんに住んでいらっしゃるんですね?」

か「ええ、でも前に世田谷に住んでましたから。そのときから乗ってるんですこの自転車。」

ぽ「世田谷に住んでて…品川で買われたんですか。」

か「あの、安かったんで。安いと聞いたんで。東京に来たてでよくわからなかったし、まあ。」

ぽ「そうですか。」


ポリスの無線に連絡が入る。確認が取れたらしい。
ポリスは礼を言ってパトカーのほうへ去っていった。


ポリスが去って再び自転車をこぎながら、今回のやりとりの一部始終について考えていた。

あらかじめ断っておくと、僕はポリスに対して特に好感を抱いているわけでは断じてないが、
悪い印象も抱いているわけでも全くない。
むしろ一部の人のせいで世間からどやされ、注意しただけで悪態を浴びたりしながらも、
きっと多くのポリスが正義感を胸に社会の治安を維持するために頑張っているのだ。
そんなわけで夜に自転車の無灯火で呼び止められた時には例え多少急いでいる時だろうと
嫌がったりせず快く防犯登録確認に応じるし、質問にも素直に答えることにしている。
そして確認が終わって別れる時には口にこそしないものの、
「ありがとう、おつかれさまです。」という気持ちを抱きつつ立ち去ることにしている。

しかし今回の出来事では印象がいつもと少し違った。
これまでのポリスとの絡みはいつも無灯火で呼び止められることで始まるのだが、
今回ポリスはわざわざ僕の元へやってきたのだ。
自転車は止まっていたので無灯火であることは特に問題ではないはず。
恐らくポリスは僕に何らかの犯罪と関連する可能性が潜むと見て話しかけてきたのである。
(実際にポリスの言葉からもそういう理由で話しかけてきたことが伺える)

こんな言い方は失礼だろうが、ここまでくると、もはや可哀そうである。
偶然パトカーの手前で止まってきょろきょろしているだけの男にも犯罪の可能性を見出す。
犯罪を未然に防ぐ、根絶するために必要なことだから、と割り切る部分もあるだろうが、
このように「怪しい」人を見ると犯罪の可能性を少なからず想像してしまう、
そしてその僅かな可能性に対してケアし続けるという作業を仕事として繰り返すのは
大変な心労なのではないかと思う。
極端に悪い言い方をしてしまうと、絶えず人を少なからず疑っているのである。きっと。
もちろんこんな大変な仕事だからこそ感じられる使命感や遣り甲斐もあるのかもしれないが。
ポリスというのは本当に大変な、そしてどこか悲しみを伴う仕事なのだなと改めて感じた。
今日出会ったような全うなポリスには少しでも幸せな人生を送ってもらいたいものである。
そしてこれからもポリスと絡むときには嫌がらず素直であろうと思った。


あと今回の出来事で感じたもうひとつのこと。
それは、全うに生きているつもりでも運が悪いと大変なことになるのかもしれないということ。
今回、僕はメールによって偶然パトカーの手前で止まり、
偶然知り合いに似た姿を見たことできょろきょろとして、ポリスに話しかけられた。
そしてポリスとの会話の中で僕は唐突に誰かと電話で話し、
僕が乗っている自転車は品川で買われた物で、僕は駒込に住んでいる。
疑おうと思ったらいくらでも疑えるような男である。名探偵コナンもきっと僕を容疑者に挙げる。
大学に進学した当初に僕が極端なケチで品川から自転車で世田谷まで乗っていったなんて、
いったん容疑者になったとすれば誰が信じてくれるだろうか。いや誰も信じないだろう。
電話は仲間をポリスから逃がそうとしたのかもしれない。自転車はきっと盗難だ。
また会話には出てこなかったが、僕の自転車のライトがしばらく前から壊れていて、
直しに行くのが面倒だからかわりに小型のミニライトを持ち歩いていて、
用は足せるから別にこれでいいやと思っていることなんて、
もし僕が何かの裁判に追い込まれてそう証言しても絶対に誰も信じてくれないと思うのだ。

この感覚は最近読んだ「異邦人」で描かれていた不条理と通じるところがある。
結局のところ、異邦人の主人公も僕も、特に何も考えていないだけなのである。
特に深い考えがあったわけでもなく、非常に偶発的に事件に巻き込まれただけなのだ(僕は実際は何にも巻き込まれていませんが)。
しかしひとたび事件に巻き込まれてしまうと、人々はその行動に何らかの理由を結びつける。
自転車のライトを直さずミニライトで代用するなど理由もなくするはずがないのだ。普通。
そしてそこに本当に何の考えもないのだということを主張しても、
それはむしろ容疑者がますます普通でないという印象を植え付けていくことになるのだろう。
異邦人の主人公の場合、確かに彼は殺人を(偶然)犯すのだが、裁判において検察官から
これまでの人生におけるあらゆる場面で彼は通常でなかったという評価を受けることになる。
そして死刑の判決を受け、相変わらず静かにそれを受け入れて死んでいく。

つまり、ふとしたことで穴に落ち始めると、それがそのまま何の抵抗もできないままに
限りなく落ち続けていくということがあり得るのではないか、ということ。
自分としては全うに生きているつもりでも運が悪いとそういうことになり得るのではないか、
と、そんなことをぼんやり考えていた帰り道でした。



ああ、長くなった。長くなったけど、なんか書きたいこと書いたので満足。
[PR]
by kan-net | 2008-01-26 06:12 | 暮らし
<< 新しい仲間 黄金の豚 >>