「戦争」の言葉に思うこと
前の記事で「オランド大統領は(中略)フランスが戦争へ乗り出すという明確な表明はしていないと思われ、そこに微かな希望を見出したいところ」と書いたけど、そんな「希望」はあっさり裏切られた。16日の夕方に開かれた上下両院合同会議での演説で大統領は「フランスは戦争状態にある」「我々の敵はイスラム国である。我々はこの組織を食い止めるのではない、この組織を滅ぼすのだ」 と宣言。演説後には両院全議員は総立ち、長い拍手が鳴り響き、国歌ラ・マルセイエーズの斉唱が続いた。この国歌が両院合同会議で歌われるのは1918年、2015年1月(シャルリーエブド)以来3度目だったらしいのだけど、その好戦的な歌詞(「武器を取れ市民よ 隊列を組め 進もう 進もう 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」とか)にもともと若干ひき気味な僕はテレビを観ながら「これはヤバいな」とただ思った。

そして17日(サンドニの前日)、FigaroとRTLが16日に実施した世論調査の結果が公表された。以下にそのいくつかの数字。
・59%が「フランスは戦争状態へ突入した」に同意
・84%が治安向上のため自らの自由に制限がかかることを肯定
・74%が潜在的危険人物(「fichier S」該当者)の拘留を肯定
・85%がシリアを占拠するイスラム国への攻撃を肯定

これを見て、少し「おや」と思った。テロの発生直後から大物政治家が「戦争」という言葉を繰り返し、それを報じるメディアでも同語が頻出していたのに対して、世論調査では「戦争状態へ突入」への同意が59%に「留まった」と僕は感じた。確かに、テレビのインタビューなどでも市民は皆それぞれに怒りや悲しみを表明していたけど、「戦争」の単語を自ら遣う人は少なかった。一般のフランス市民の間には「戦争」に対する抵抗が一定程度は残っているのかなと思った。

それに比べると政治家が「戦争」と発言する頻度は異常なほどで、こちらの気分を重くする。好戦的な方向へ民意を誘導するつもりかと苦々しく見ていたのだけど、18日未明のサンドニの作戦や、15日の夜から数百件規模でフランス全土で強制捜査が展開されている様子(リヨンではロケット砲など大量の武器を押収)を見ていて、この「戦争」の多用はかなり国内の治安確保への意味合いが強いように思えてきた。

4月の時点でバルス首相は「シャルリーエブド以降で5つのテロ行為を未然に防いだ」と言っていたし(Le Monde 2015年4月23日)、テロリストがコンサートを狙うという情報も夏には明らかになるなど(Le Monde 2015年9月18日)、政府は国内に相当な危機認識を抱いていたと思われる。ただ踏み込めるほどの確証がなかった。それが13日のテロ事件の発生を受けてこれ以上は看過できるわけもなく、非常事態宣言を直ちに発し、以前から危険性があると踏んでいた数百に及ぶ潜在的危険人物を押さえにかかったのだ思う。

つまり「フランスは戦争状態にある」という強い発言によって、国民に危機意識を共有させ、また「国土の治安維持のためにあらゆる手を尽くす」ことについての承認を得たのかなと。前述の世論調査、フランスという人権の国の民の8割が自らの自由に制限がかかることに納得を示し、7割が潜在的危険人物の拘留に賛同するというのは、そうした発言の影響もあったように思う。…あまりこういう推測ごっこみたいのは好きじゃないけど、そう考えると彼らの発言の意図が少し理解できる気がして。



ただそうすると、実際に戦争はどこまで行くのか?どこまで既に行っているのか?というか、ここで言う「戦争」とは何か?という思いが生じる。フランス軍はパリ同時多発テロの翌14日にはラッカを占拠するイスラム国勢力に対して大規模な爆撃を行い、その後もロシア軍と代わる代わる攻撃を続けている。とは言えラッカへの攻撃自体はテロより前から実施されていたものだ(イスラム国はそれをテロの理由の1つとしている)。

再び前述の世論調査、「フランスは戦争状態にある」の肯定は59%、フランス軍によるイスラム国への攻撃への肯定は85%。このギャップは何か。フランスの国土、自分の身の回りの状態が判断基準であり、他所のことは二の次、フランス軍が他所で攻撃していてもフランスは戦争状態ではないという潜在意識が見え隠れする。まあ対峙する相手が国でなくテロ組織という時代になり「戦争」の概念が変わってきているし、その上で「フランスは戦争状態」というフレーズ自体をどう理解するかというのが既に問いだと思うけど。

これは僕自身への問いでもある。僕自身、政治家たちの「戦争」の言葉に対して恐怖を覚えながらも、14日以降に激しくなったフランス軍による攻撃はそれでも単なる「これまでより大規模な攻撃」だった。戦争の前触れとは思っても、戦争に入ったとは思っていなかった。でも戦争には既に入っていたのかもしれない。ラッカへの攻撃のイメージを見て、これはもう戦争でしょという感覚になった。


結局、俄かに多用され始めた「戦争」という言葉に過敏に反応していたけど、言葉に踊らされた感がある。言葉が出ていなかったから戦争が起きていなくて、言葉が出されたから戦争だというのは当たらない。その言葉の有無にかかわらず実際に何が起きているかをできるだけ自分で観察して、自分でその状況を理解するように気をつけないといけない。上のイメージ一枚でじゃあ戦争だと認識するのが正しいわけでも必ずしもないだろう。ただ12日のベイルート、13日のパリとサンドニ、18日のサンドニ、20日のバマコ(現在進行中…)などとにかくここ数日間でテロの脅威が目立ち始めて、フランス軍やロシア軍がラッカへの攻撃を強めるなど、緊張が急激に高まっているのは感じる。できるだけ自分で観察し続ける。

なお僕自身の頭に入っていなかったことなのでここで記載しておくと、イスラム国が占拠しているシリアのラッカには今も「貧しさゆえに難民として避難することすらできなかった市民」が住み続けている。イスラム国の迫害に怯え、フランス軍やロシア軍の攻撃にも怯えながら、ラッカ市民は今何を体験し、何を見聞きし、何を思っているのだろうか。(フランス軍はイスラム国の施設を攻撃としている)


最後にダライラマの言葉。「祈るだけで問題は解決しない。人間が問題を作りだし、そして今は神に救いを求めている。論理的でない。神も、自分で生んだ問題は自分で解決しろと言うだろう。平和のために私たち一人一人が努めよう、家庭の中で、社会の中で。神や仏陀や政府に頼るのではなく。」 (i100/Independent 2015年11月18日
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by kan-net | 2015-11-20 13:40 | 考え
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