読書録:福田昌史「0.3秒60点の世界」
日本で大学院生だった時(思えば8年前とかである)、研究室ミーティングというのが毎週あった。この時に先生が突然思いついたようにいろんな話を延々と繰り出すことがあり、けっこうその時間が好きだったのだが、これはその中で紹介された本。大学の講義にも来てくださっていた国土交通省出身の方の講義録を基に書かれたもので、先生がどのように紹介されていたのかは覚えていないが、この本のタイトルだけはやけに印象に残っていて、就職したある時、いよいよ購入した。だのにその直後に出張へ出るため友人に貸してしまい、以来そのままになっていた。最近になって思い出して、今回の帰国時に友人から返してもらって、フランスに持ってきて先日ようやく読んだのだった。5年越しとかである。長い。(この説明も長い。)


0.3秒60点の世界「幸せ多い国づくりへの実践」 福田昌史、社団法人全日本建設技術協会、2008年

0.3秒60点の世界



それだけ長く寝かせた後で読んでみてわかったのだけど、僕はまずこのタイトルの意味を誤解していた。「即座(0.3秒)に概ね(60点)の回答をすべし」というのはあっていたのだけど、てっきりこれは通常業務についての話だろうと思っていた。思えば会社員になってこの本を買おうと思ったのも、自分がいつも与えられたミッションについて最初からじっくり腰を据えすぎで瞬発力がないなあと思ったからだった。即座に概ねの画を描いて、それから細部の詰めや積み上げをすべし、そういうメッセージなのだろうと思っていた。

違った。この本で紹介されている「0.3秒60点」は、担当が違うからと言ってたらい回しにする「お役所仕事」をしてはいけない、自分の担当以外の内容でも即座に概ねの回答をしよう、という内容だった。本ではこの背景として、毎週のようにどこかで災害が発生して問い合わせが殺到した年だったという状況が描かれているけど、本のタイトルにもなっているこのメッセージは非常事態でなくても共通するものと思われる。

つまり大きく違っていたのは「誰の仕事か」という部分で、僕の思い込みでは自分の仕事しか考えていなかったが、本で書かれているのは自分の担当以外の内容についてで、そこで0.3秒で60点を出せという話だった。かなり、レベルが違った。

「60点くらいはすぐに出せるが残りの40点は次第に簡単には上がらなくなる」みたいな話(※)と混同していたのかもしれない。いずれにせよ自分の範囲で60点回答を即座に出せることは当然であるべきなのだろう、ずいぶん考えが甘かったものだなと反省した。書いてあることは尤もだと思ったので、これからはちゃんとこのタイトルの本来の意図範囲に意識を広げて、そこで即座に60点を取れるよう心がけていくことにしたいと思う。
(※このあたり、フランス企業でのインターン経験を通して、「クオリティ」と「時間」に関する日本とフランスでの考え方の違いみたいなものは少し感じたので、いずれ書きたいと思う。)

なお実は本のうち「0.3秒60点」に関する記述はごくごく一部に限られていて、他の要素がたくさん込められていた。以下、目に留まった箇所の抜粋。

およそ百年前の明治34年(1901年)1月2日及び3日付けの報知新聞に「二十世紀の預言」という記事が掲載されています。予測の前提は定かではありませんが、その多くは今日、現実のものとなっています。例えば、『無線電信及電話…マルコニー氏発明の無線電信は一層進歩して只に電信のみならず無線電話は世界諸国に連絡して東京に在るものが倫敦、紐育にある友人と自由に對話することを得べし』という予測がされており、現代では国際電話、さらには携帯電話の普及により、世界中の人々と対話することができるようになっています。(P.11)

『この世で最も尊ばれるべきことは、金を残すことでもなく、名誉を残すことでもなく、後世の人々に幸せを導く遺り物(社会基盤施設)をすることだ』という社会基盤施設を造るということが、非常に高度な意思決定であるということを意味している言葉です。これは札幌農学校二期の学生で、クラーク博士に師事し、明治、大正の教育界に影響を与えた人格者である内村鑑三氏の言葉です。(P.21)

災害が各地で頻発し、問い合わせが殺到するような状況で、いわゆる「お役所仕事」では不適切な対応と言わざるを得ないのです。このため、筆者が課の職員に求めたものは、「0.3秒60点」というものでした。私からの質問に対し、即座(0.3秒)に概ね(60点)の回答をしてほしい、内部外部を問わず問い合わせが殺到するなかで、「これはどうなっているのか?」という問いに対し、「これはこうなっています」という回答がすぐに出てくる組織であって欲しい、緊張感を持って仕事をしてほしいということを簡単で分かりやすい標語として示したものです。通常、技術者の仕事は、ラインで担当が決まっていますが、自分のライン以外の事柄(仕事)に対しても関心を持ち続けてもらい、少なくとも誰に聞けばその回答に近づくことができるのかを分かっていて欲しいという願いもあったからです。(P.43)

柔構造樋管の第一号施工は、新技術の現場への円滑導入のために建設省(当時)が制度化していました技術活用パイロット事業として実施されましたが、100名を超える見学者の眼前で、ボックスカルバート間の継手部が次々と破壊されていく場面に直面したのです。(略)このような失敗もしましたが、新しい技術を確立・定着させるには必ず躓きがあるものだから、失敗して悄気ることはなく、それを乗り越えるだけの度量を持つことが肝心であると強く思いました。(P.65)

基準やマニュアルは策定した日から常にメンテナンスが必要であるということです。(略)一昔前は、革紐綴じの法令集や基準書を普通に見ることができましたが、これは基準や規定が日進月歩で絶えず変わっていくことを前提にして、内容が変わればそのページ分だけを更新し、新たな動きに応答していく極めて合理的な仕組みを備えていました。(略)現在、土木分野の基準類の大半は書物となったため、変更する数ページのためだけに改訂版を作ることが難しくなりました。(P.70)

『法に叶い、理に叶うとも、情に叶うものでなければ、真の地元住民からなる理解と協力を得ることは出来ない。』という名言をご存知でしょうか。昭和48年に完成した筑後川(九州)の松原・下筌ダムの建設に際し、「蜂の巣城紛争」として後世に伝えられるダム反対運動を展開した室原知幸氏の言葉です。(P.73)

オーストリアの社会心理学者フリッツ・ハイダー(Fritz Heider, 1896~1988)は「ハイダーのバランス理論」として次のように説いています。三者の関係の良しあしをプラス(+)とマイナス(-)で表現した際に、この三者関係(三角形の三辺の(+と-)属性)の掛け算の積がプラス(+)になる場合には安定(均衡)した状態であり、マイナス(-)となれば三者の関係は不安定(不均衡)な状態であると定義します。(P.112)

「リスキー・シフト(Risky Shift)」や「コーシャス・シフト(Cautious Shift)」といった、いわゆる「集団極性化現象(Group Polarization)」の発現にも十分な注意が必要です。会議などの集団で意思決定を行う場において、声高に主張する人の意見などに引きずられ、自らが決定していた(考えていた)意見より、より大胆でより危険な方向へ意思決定がなされてしまったこと(リスキー・シフト)や、その逆に、より保守的でより安全な方向へ意思決定がなされてしまったこと(コーシャス・シフト)を経験されている方も数多くいるはずです。(P.114)

総じて言えば、危機管理時の指揮官に最も大切なことは、難局に対処した時でも努めて凶報を平静に聞くということ、すなわち、悪い情報に強い人間であるということです。これは平時においても同様であり、危機時の指揮官に求められる大きな条件となるのです。(P.119)

技術の世界は、いかなる場面においても躊躇ない判断というものが求められ、判断を躊躇していると物事はどんどん悪い方向へ流れて行ってしまうことがよくあります。読者の皆さんも多くの経験があるかと思いますが、理論解が得られるまで判断を待てるということは非常に少なく、建設技術者の技術に裏付けされた主観で判断を迫られることの方が多いくらいです。建設現場で必要とされる判断もそうですが、制度設計や制度改革などで要求される判断についても同じことが言えるのです。建設技術者に求められる技術というのは、これまでの経験や知識に裏付けされた判断力、総合技術にあると言っても過言ではありません。(P.147)

自らの人生で被告席に座るということを率先して人生経験の中に組み込む人はいないと思いますが、筆者は裁判で「被告席」に座すことが一度だけありました。昭和49年9月の多摩川水害に係る裁判です。この裁判では国側(河川管理者)の堤防決壊という水害に対する「予見可能性」が争点となり、当時の治水の考え方である堤防と堤防に挟まれた河道の中で河川の安全性を如何に確保し、河川管理者はどこまで責任を取るべきかというものでした。(P.177)

その教えは、まずは、技術とは一体何かということについて、技術は進化し、固定的な考え方で技術を捉えるものではないとする哲学を叩き込まれたものでした。ですから、基準やマニュアルに筆者が関わるときには、基準やマニュアル通りでは簡単には了解せずに、いくつもの方法を考え、それらを使っても良いという技術的判断ができて初めて使うことにしたのです。もう一つは、技術者は何事にも最善を尽くすということ、悔いを残さないようにしてやり遂げるということで、自らその事象に対峙し、どこに問題の所在があるかを見つけ、それをどのように改善していくかということに最善を尽くすことが大切であるというものでした。諦めずに悔いのないようにしよう、技術には不変なものはなく進化するものだというような、おぼろげではありますがそんな想いを教えられたことが想起されます。(P.182)

「技術の世界は、いかなる場面においても躊躇ない判断というものが求められ~」(P.147)の箇所は、前に読んだ「技術屋の心眼」にも非常に通じるものがあると思われた。(読書録:技術屋の心眼
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by kan-net | 2015-05-27 03:42 | 読書
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