読書録:E・H・カー「歴史とは何か?」
大学時代の恩師から渡仏前にいただいた本を、長い期間かけてようやく読み終えた。
恩師が若いころ、考え方の変わるきっかけになったという本。

歴史とは何か? E・H・カー(翻訳:清水 幾太郎)、岩波新書、1962年

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考え方が、確かに変わった。あるいは曖昧に抱いていた感覚を少し確認し発展できたというべきか。

全て僕たちは歴史の産物であり、その中で形成された価値観を抱いて生きているのであって、超越的な見地・価値観に辿り着くことなどない。では僕たちは何を為すべき・為すことができるのか?大きな歴史の中の小さな存在としてただ流れに乗っていくことしかできないのか?
為すべきこと、為せることは、歴史の産物でしかない自分を認識しながら、時代の意志を実行していくこと。既に時代によって形成されている僕たちは、今はまだそれを表す言葉を知らないにしても、今というこの時代の意志・要請を感じとることはできているはず。僕たちが為すべきことは、過去と未来を見つめることで現在の意志を把握し、具現化して、実行していくということ。
同時にそのような自分の非普遍性を認め、未来からの評価を甘んじて受け入れる覚悟と準備をしなくてはならない。過去から現在そして未来へと、価値観は常に変遷し続ける。それを踏まえて、決して普遍的にはなり得ない現在という時代を大胆に実行していくということ、これこそ僕たちが為すべきことなのだろう。


以下、本文より抜粋。

「正確は義務であって、美徳ではない。」(ハウスマンの言葉の引用・7ページ)

「われわれが読んでいる歴史は、確かに事実に基づいてはいるけれども、厳密に言うと、決して事実ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である。」(バラクルー教授の言葉の引用・14ページ)

「無智は歴史家の第一の要件である。無智は単純にし、明瞭にし、選び、捨てる。」(リットン・ストレーチの言葉の引用・14ページ)

歴史とは議論の余地のない客観的事実をできるだけ多く編纂することだ、と考える十九世紀の異端説(15ページ)

これらの文書は、何が起ったかを私たちに語っているのではなく、ただ、シュトレーゼマンが起ったと考えていたこと、彼が他人に起ったと考えて貰いたかったこと、恐らくは、起ったと彼が考えたかったことを語っているに過ぎません。(21ページ)

全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。歴史とは解釈のことです。(29ページ)

歴史家は、歴史を書き始める前に歴史の産物なのです。(55ページ)

人間は必ずしも―というより、一般に―自分が完全に意識している動機、自分が進んで認める動機に基づいて行動しているものではありませんから、無意識の動機、あるいは、本人が認めない動機への洞察を排除しようとするのは、全くわざと片目を閉じて仕事を始めるようなものです。(67ページ)

「ある時代の偉人というのは、彼の時代の意志を表現し、時代の意志をその時代に向って告げ、これを実行することの出来る人間である。彼の行為は彼の時代の精髄であり本質である。彼はその時代を実現するものである。」(ヘーゲルの叙述の引用・76ページ)

「歴史とは、ある時代が他の時代のうちで注目に値いすると考えたものの記録」(ブルクハルトの言葉の引用・78ページ)

「われわれは自分の方法を意識しながら進んで行かねばならない。われわれは蓋然的で部分的な仮説を徹底的に検査して、いつも今後の訂正の余地を残すような暫定的な近似値で満足しなければならない。」(ジョルジュ・ソレルの言葉の引用・87ページ)

イヴァン・カラマーゾフの有名な無関心のポーズは飛んでもない間違いであります。われわれは社会の中へ生まれているのですし、歴史の中へ生まれているのです。われわれは、いかなる場合にも、受け取るもの自由、拒否するのも自由な入場券を差し出されているのではありません。(118ページ)

真面目な歴史家というのは、すべての価値の歴史的被制約性を認める人のことで、自分の価値に超歴史的客観性を要求する人のことではありません。(122ページ)

すべての歴史に関する議論というものは、諸原因における優越性という問題の周囲を回転しているのであります。(132ページ)

理性的存在としての人間の本質は、人間が過去の諸世代の経験を蓄積することによって自分のポテンシャルな能力を発展させて行くところにあります。(168ページ)

未来だけが、過去を解釈する鍵を与えてくれるのです。(182ページ)

「その時まで、人々は、自分たちが求めているものが自由であるとは知らなかった」(フランス革命について、アクトンの言葉の引用・202ページ)

どんな発明にしろ、どんな革命にしろ、どんな新技術にしろ、歴史の流れのうちで発見された限り、肯定的な面と共に否定的な面を持っていたということです。いつでも犠牲は誰かが払わねばならないのです。(218ページ)

科学者の中には、それが破滅的に用いられ得る、いや、用いられたという理由で、自分たちが原子力解放の方法および手段を発見したことを後悔している人たちさえいます。しかし、過去において、こういう苦情が新しい発見や発明の進行を食い止める役を果たしたためしはなく、将来も果たしそうもありません。(219ページ)

人間現象における進歩というものは、もっぱら、人間が既存の制度の断片的改良を求めるにとどまることなく、理性の名において現存制度に向かって、また、公然たると隠然たるとを問わず、その基礎をなす前提に向って根本的挑戦を試みるという大胆な覚悟を通して生まれて来たものであります。(232ページ)

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by kan-net | 2014-07-25 09:04 | 読書
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