人生と運命と選択
「人生と運命と選択」について。
ある友達からのメールをきっかけに考えたこと。


大学3年。
この時期、院への進学やら学部卒での就職やらでいろんな人が悩んでいる。
僕は院への進学を予定してるけど、悩む気持ちはよくわかる。
院の後はどうしたもんやらわからん。

だけど先のことを考えみたって、わからないものはわからない。だって先のことだもの。
今、最も大切なことはその時その時をしっかりと生きていくこと。
「命運を決する場面」て言うけど、実は人生ずっとそんな場面の連続で、
風が吹いたら桶屋が儲かるかどうかはわかんないけど、
その時その時に選ぶあらゆる行為が、人生を選択してることなのだと思う。

 就職セミナーの案内が来た。
 うーんでもその日は友達の誕生日だ、そちらを優先したい。
 セミナーなんていくらだってあるんだから、まぁよかろう。

と、その瞬間、その人は就職セミナーで得られるだろう全ての機会を投げ打っている。
もしかしたら数年後には某インターネット会社のような勢いを持つ会社かもしれないのに。
もしかしたら耳寄り情報がどこか近くに座った参加者から聞こえてくるかもしれないのに。
もしかしたら就職と全く関係なく運命の出会いが訪れるかもしれないのに。
もちろん大して何も起きない可能性だって大いにある。
だけどセミナーに行かなかったという事実が、もーーーしかすると後々に発覚する
同日の殺人事件のアリバイ欠如になって、冤罪で罰せられてしまうかもしれない。

「たら」「れば」は言い出したら止まらない。好き放題に言える。
だけどそれが本当に起こっていること。
「こうなる運命だったのさ」なんて勘違い。
あなたがあの時あの選択をしたからそうなったんです。

とは言えずっと気負ってても疲れるだけだから、本当に「その時その時」。
その時ベストだと思うようにする。後悔しないように。
それさえちゃんとできてれば、きっと結果も良いんじゃないかな。
…いや、最後の言葉はかなりいい加減だ。
けど、自分の選択について責任を持てる人の方が
その選択から導かれる結果もきっと優れている、と、ただなんとなく思う。


明日の一限の講義で人生を変えるような話が聞けるかもしれない。
だけど今僕はブログを書いて夜更かしをしているから寝坊してしまうかもしれない。
これも僕の人生の選択なのだ。



ちなみにこれは紛争や貧困のひどい地域では当てはまりづらい論理なんだろうな。
自分自身の選択が人生を左右するかというと、たぶんそれは小さくて、
それよりもずっと大きい力で人生が支配されている。
その状態が良いとか悪いとかは幸福論に関わることだから判定しづらいけど、
僕は個人的性格としてそういうのが好きじゃない。から紛争や貧困は嫌いだ。
これも僕がこの分野に取り組みたいと思っている理由の大きな一つ。
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by kan-net | 2005-11-29 01:10 | 何気ない
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