親知らず原論
親知らずが生えた。右上のやつが。
たぶん2,3日前のことだと思う。奈良あたりで来た感がある。

28歳の誕生日を目前とした2012年の終わり直前のこの時期に
ひょっこり顔を出すなんて、全く予期せぬ出来事だった。
しかし僕の親知らずは人知れずにょきにょきと伸びていたのである。
僕自身の気付かない間に、僕の身体も変化していたということだ。不思議なものだね。

ふと思うのは、親知らずが生えてくるというのは、「成長」なのか
それとも単なる人体の変化ととらえるべきなのか、ということ。
28歳になってのこの事象は、直感的にはもはや成長とは言えない気がするし、
では老化なのかというとそういうわけでもないと思うし、
これはやはり単なる身体上の変化としてとらえるべきなのではないかという気がする。
つまるところ、「成長」も「老化」も、物事の変化に対して価値観を貼り付けているだけだ。


ときに、大学時代にしていた途上国開発の研究のなかでよく出てきた議論で、
「開発」が人々を本当に幸福にするのかというのは、まさしく価値観の問題だ。
今のありのままの生活のカタチが、例え外野から見て望ましくない環境だとしても、
それが当事者の今のカタチだとしたときに、それを変えるとはどういうことなのか。
とか、その手の議論。

(この続きで、もし外野から「変える」わけでなく、当事者の選択肢を増やすという
潜在能力アプローチをとるにしても、やはり微細にしろ外力に起因する話になるので
当事者たちの現在の生活の保全という意味では如何なものなのだろうか、
というあたりで僕の中での開発の世界は迷宮入りを始める。
就職してから道路案件とかやりまくっといてよく言うわ、とは言わないで)

しかるに、今僕のいる業界では途上国の「開発」「成長」という言葉を遣っている。
そのようなポジティブな言葉を選ぶ権利は僕の側にはない。ということを言いたいのです。
僕にできること、すべきことは「変化」の提案をすることだけで、
その変化が実現された時にそれを「開発」「成長」と呼ぶのか否かは
専ら当事者に委ねられるべきことであると思う。

だから当事者の声をよく聞き、よく知り、よく検討して提案を練らなくてはならない。
そして僕の仕事が「開発」「成長」につながったと言われたら良いな、と思う。のです。
そんな仕事を私はしたい。


以上、親知らず原論。
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by kan-net | 2012-12-07 00:10 | 何気ない
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