読書録:技術屋の心眼
昨晩、数カ月ぶりに読書の時間が取れて、
ずっと途中までしか読めずにいた本をようやく読めました。

技術屋の心眼 E.S. ファーガソン(翻訳:藤原良樹、砂田久吉)、平凡社、1995年
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工学系の人は読むと良いと思う。
工学系じゃない人も、読むと良いと思う。
みーんな、読むと良いと思う。

私の感想。

最近の、地に足がついてないという感じとか、もがいてるわりに進歩がない感じとか、
それは結局、五感が磨かれていないのに理屈を振り回そうとしてるからかな。

大学を出て仕事をしながら感じることは、
理屈で解決できることもたくさんあるけど、理屈で解決できないことはもっとたくさんあって、
「判断」をしなくてはいけない場面が無数にあるということ。
「理論」や「システム」は幻想で、社会は実のところいつでも生身の人間の集合であって、
その人間たちの無数の判断によって社会が形成されているということ。
理屈、科学や理論はその判断の助けにはなるけど、なされる判断の多さ、大きさに比べると
まさに「助け」以上のものではあり得ないということ。
理屈は説明責任のために用いられることの方が多く、
本当の判断はそれらとは別のところでなされるということ。

「判断する能力・センス」がとても大事で、この獲得のためには、
応用力や問題解決力といったキーワードを掲げているだけではきっとあまり意味はなくて、
モノの仕組みについての直接的な経験を通した五感を養うことが必要。なのだ。
この五感が、そうか、今の自分には圧倒的に不足しているってことね。

というあたりが、感想。かな。
はい。以上。

以下、本文より抜粋。

(前略)これは現代の俗説の一つであり、そうした俗説は、技術に携わる人々が我々の住んでいる世界を形づくるに際して、科学的とは言えない多くの決定――大きなものも小さなものも――をしていることを無視している。(序・5ページ)

本書の基礎をなす議論は次の点にある。すなわち言語によらない学習という工学における貴重な遺産を無視した教育は、無数にある微妙な点――そこでは、現実の世界は教授が教えてくれた数学的な世界とは異なっている――については恐ろしいほど無知な学生を生み出してしまうだろうということである。(序・7ページ)

その複雑さ、とらえにくさにもかかわらず、またきちんとした線図に乗らないにもかかわらず、技術分野における設計は、予測可能な道筋に従っている。その道筋の本質が、CADや望まれていた設計の科学なるものによって変えられることはないであろう。コンピューター利用による確実性というのは幻想であり、設計がうまくいくのに必要とされる人間の判断の量や質を変更するものではない。(58ページ)

コンピューター・プログラム――利用できる問題の種類はますます多くなっている――を利用する場合、設計者は小さな細かい決定を全て、経験を積んだ設計者というよりは「巧みな工学的科学者」といったほうがはるかに近いプログラマーに委ねてしまうことになる。膨大なコンピューター・プログラムの中にある判断や決定の要点をすべて明らかにすることは、不可能ではないとしても困難である。けれども、これらの小さな決定が、設計が成功するかどうかの死命を制することもありうる。(59ページ)

いずれにしても、設計には、その形式がどうであれ、常に仮定と判断という問題が存在する。全ての仮定を明確にすることはできない――暗黙裡の知識や言葉にはならない(そして言葉では表せない)判断があまりにも多すぎる――がゆえに、過程や判断、そして決定(大きなものも小さなものも細かいものも)を、工学的科学のみならず現実をも学んできた設計者の手に委ねるのが大切なのである。デイヴィド・ビリントンが忠告しているように、「二十世紀後半の技術者はすべからく、コンピューターをよく理解していなければならないし、設計者はすべからく、自分たちの基礎である構造物の経験に代えてコンピューターに頼ることのないようにしなければならない」(60ページ)

「目と指――何もはめていない指だ――は、技術者が扱わなければならないあらゆる材料と作業についての信頼できる知識を得るための、二つの主たる取入れ口なのである。それゆえ、私は、手袋をはめたがる若い技術者を信用しない。手袋、とりわけ仔羊革の手袋は、技能の知識の完全な不導体ですらある」。(73ページ)

創造性を誘発するのに、設計者にとって一連のテクニック(中身は空だ)よりも大切なのは、現行の実際のやり方と製品についての知識、そして、技術プロジェクトや工業プラントの現場での観察を通じて得られた、直接の体験に基づく知識と洞察を蓄積していくことである。(85ページ)

「理論的な計算はめったにできるものではなく」、「理論についてのあらゆる話にもかかわらず、それらの方法は本質的に経験的なものである」(197ページ)

技術者は、技術分野でのほとんどすべての失敗が、誤った計算よりも誤った判断の結果であることを常に思い起こさねばならない。(242ページ)

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by kan-net | 2012-04-09 01:32 | 読書
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