東北旅行記録 その3/了
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めかねながら書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その3
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2011.7.27 16:50 東京へ戻る新幹線にて

2日目は気仙沼ボランティアセンターを訪ねて気仙沼でボランティアに参加した。個人参加している人がけっこういるようだったが、中にはハワイ?からのボランティア学生集団や、他県からのボランティア団体なども見られた。

参加にあたってホームページを調べていると、長靴やゴム手袋、ボランティア保険への加入などが必要だと書かれていて、参加できないかもしれないと心配していたが、実は用意がなくてもすんなりと参加できた。必要なのは健康な身体一つだった。責任ある行動のとれる人であれば誰でもいつでも参加できるのだという感じ。考えてもみれば、責任ある行動さえできるのであればモノの用意がなくてもボランティアへの参加資格は既にあって、そこで指定のモノがないことでボランティア団体に迷惑がかかるのではとか、足手まといになるのではとかいう懸念は、たいていの場合にお門違いなんだろう。ボランティア団体にちょっとくらい迷惑をかけるとしても、被災地・被災者のために行動をすることのほうが大事。といってあまりに不準備で参加を断られたら、そのときには帰ればよい。漠然と抱いていた「ボランティア参加への壁」は、思い込みだった感じ。この誤解がなければもっと早く来られたかもしれないのだが。

活動場所は市内の唐桑地区というところだった。自衛隊から提供されたテントの組み立てと、家屋の清掃・ゴミ出しを行った。チームは男6人、女2人の8人体制で、あと家屋清掃のお宅ではRQという東京の団体の方が4人来られていた。唐桑地区は平野部が狭く、すぐ後ろが高台になっていた。少し上れば、きっと逃げ切れた。みんな逃げていてほしいと着いた瞬間に思った。

午前中のテント設営では、大工だったおじさんの倉庫として使うためにということだったのだが、作業開始当初にその目的を知らされておらず、テントが汚れてしまったときにはとても慌てた。というか、おじさんが依頼主の被災者であることをしっかり認識しないまま作業をしてしまったりと、たいへん申し訳ないことをした。

昼からの家屋清掃は、また違うお宅だったのだが、こちらではゴミ出しをした。でも、ゴミなんて元々はなかったのだ。立派なお宅で、たくさんの布団や洋服があったが、みんな棄てた。ゴミの山の中に、息子さんだろうか、結婚記念の写真があった。おばあさんに聞くと、もういらないって。本人たちのところにあるから、と言った気がした。うまく聞き取れなかったのだけど。でも、たとえそうでも、とても気が引けた。記念写真だなんて、そんな、ボランティア体験談でよくありそうな、そんなものが目の前に落ちていて、それを棄てることになるとは、思いも寄らなかった。でもまさにそうしたことが、日々、まだ続いている。まだ唐桑地区にはぐしゃぐしゃに壊れた自動車だって回収されないまま放置されている。それが、衝撃だった。地震発生から、137日目。

お昼の休憩時、気仙沼ボランティアセンターからの8人で昼食をとった。そこで初めて知ったことに、8人のうち3人が、気仙沼の被災者だった。身内の方の家が流された話、思い出の地が何もない更地になった話、命からがら工場の屋上に避難して、周囲で火の手が上がるのを見ながら、流されてきた船が工場に突撃してきたらと不安でいっぱいだった話。自分だったら話せるだろうか。話すしかないのかもしれない。何食わぬ顔で一緒にボランティア活動をしているけど、想像できないような心境で、またはそうした心境をへて、今こうしてここで活動しているんだ、と。それでどう、とも言えないけど、そう思った。

RQの方も含めて2人、無職の方がいた。2人ともとてもよく働いていた。聞くと、ボランティア活動をしてもう長いらしい。ボランティア参加者については批判的なものを含めて様々な議論があるように思うが、長く継続して動けるボランティアはやはりとても大切だし、彼らの様子を見ていて、ああ立派なことだなと思った。長くいる人がボランティア活動チームの核になって、自分のような単発の参加者が手足となって働く。

ボランティアの活動時間は夕刻3時までとなっていた。健康管理は重要だし、継続が必要とされる話なのだ。それで帰るというとき、おばあちゃんと奥さんが以前まで営んでいた寮の大漁旗を見せてくれた。たくさんあるから欲しけりゃもっていきなって。もらわなかったけど、かっこいい旗だったな。今度やっぱりもらいに行こうかな。それからおばあちゃん、街が賑やかになったらまた遊びにおいでね、ありがとうねって言ってた。そうだよね。こういう言葉も、なんだかボランティア体験記によくありそうだけど、なんでそんなよくありそうなことを言うのか、おばあちゃんを見てわかった気がする。たぶん、やっぱり寂しいんだと思う。いろいろなものが、悉く壊され、流されて、仕事もご近所さんもない。でも何とか生きていかなきゃって、そう思ってボランティアに支援要請をしたんじゃないかと、勝手な想像だけど、思う。そうしたら12人もの人が来て、やること自体は悲しい掃除やゴミ出しだけど、でもその場所で人の声がして、会話して、動きがあることって、ちょっと嬉しかったんじゃないかと思う。でもみんな帰ってしまう。また動きも音もなくなってしまう。そういうのって、きっとすごく寂しくて、だから、行ってしまうことはわかっていても、また戻ってきてほしいと願われたのだと思う。

もう一度、いや今後何度でも、東北に足を運ぼうと思う。もちろん無理のない範囲でではあるが。例えば年内は未だ初期的な段階の、今回のようなボランティアの手が必要とされ続けるのではないかと思う。本当は、国が本気で動けば、こんなに長く初期的なボランティア活動が必要ということにはなり得ないと思うのだけど。まあでもそれを言っても始まらない、もし現実にその必要があるのであれば、僕も時間のあるときにはまた参加しよう。そうやって参加して足を運んでいれば、次の段階で求められる活動も見えてきて、来年も足を運ぶ口実が見つかるだろう。それを続けていけば良い。

ネタがなくなったら観光に専念したって良い。一緒に活動した被災者のボランティアの方が言っていたのは、観光も立派なボランティアだって。だからもっとたくさんの人に観光に来てほしいって。やっぱり、人がいる、そこに人がいるっていうこと自体が、元気や活力の源になるんだと思うし、観光をすれば具体的にお金を落とすことにだってなるわけだし、本当に良いことだと思う。だからいろんな手を使って、東北にまた行こう。そう決めたし、周りの人にも、一度でも何度でも、どんな目的でも、東北に足を運んでもらえたらいいなと思う。

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以上で、手記の記録終わり。

なお3日目は一関周辺の観光地である、
厳美渓と平泉を観光した。
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by kan-net | 2011-07-31 02:34 | 勉強・見学
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