東北旅行記録 その1
以下は、2011年7月25日から27日にかけての
東北旅行の道中でつけた手記を書き起こしたもの。
ブログに載せるかどうか、決めずに書いたものなので
書き起こすにあたって若干の加筆修正を行った。

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その1
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2011.7.25 12:30 一関~気仙沼移動中 大船渡線にて

東北に来ている。けんさくの東北出張にあわせて、ようやく出てきた。震災の発生直後から来ようと思っていたが、4ヵ月半が過ぎてしまった。

どうも遅くなってしまった。覚悟が定まらなかったのかもしれない。ヨルダンで、休日、観光に出ているときにニュースを受けた。信じがたく破壊された町の映像と、アラビア語の解説文字が映し出されているのを、全く実感なく眺めた。ああそうか、今気付けば、僕は日本の映像メディアを通して震災の様子を見たことが殆どないんだ。それで、もしかしたら、なにやら恐ろしく信じたいことができたという意識を、断片的な情報からむやみに全体化しているだけなのかもしれない。なんて、そうであってくれれば良いけど。現実がどうなっているかは、今から目にするんだ。これもまた断片的であるとはいえ。

しかし今から僕は何を見るのだろうか。破壊されてしまった町を見るかもしれない。ひとつひとつの家、家族の跡を見るかもしれない。それを見るのは、つらいし、こわいと思う。さっきの覚悟というのは、それを見る覚悟がなかったんじゃないかと思ったのだけど、じゃあ今ならあるかというと、まだないような気もする。でもとりあえず僕は今ここに来て、そこに向かっている。

東北に来たことの意味。ひとつには、自分自身としての整理というのがある。先に書いたとおり、あまりにも実感のない、それでいて大変な信じがたい出来事が、自分の生まれ育った国で起きたということ。適当な表現が見つからないが、スマトラやチリの時には、ここまでの心の不安定さには、正直ならなかった。今回は、どうしても、もやもやした部分がある。いったい何がどうなっているのか。それを、自分自身として少しでも理解したい。整理したい。

もうひとつには、土木技術者としての、当然の使命として。今回、「想定外」の規模の「未曾有」の災害が日本を襲ったわけだが、土木技術者としては、何があっても人の命、暮らしは守らなければならないと思う。だから、いくら「未曾有」でも、今回こうして多くの犠牲者の方をだしたことは、土木の敗退なんじゃないかと思う。この負けの現場を目に焼き付けて、これから先、人の命を守り通すという決意の光景にしたい。

気仙沼駅に着いた。けんさくを待つあいだ、駅前コーヒーショップで続きを書く。

先の書きぶりの補足。自分はこの先ずっと土木技術職を続けると考えているわけではないが、この先ずっと土木技術者でありたいと思っている。そういえるほどの技術力も知恵も知識もない現状ではあるが、思想については自分なりに育んできたつもりでいる。土木技術者というあり方が、今後どのような職についたとしても自分のベースになると思っているので、この地で見ること、感じることを自身の記憶として自分の中に植えつけたいと思う。

けんさくはまだしばらく仕事が続くようだ。

この四月、エルサルバドルで要人とお会いした際、日本が大変な状況となっている今、海外援助をしている場合なのかという話がふと持ち上がった。どうなんだろうか。日本にも海外にも、昔も今もこの先も、程度は違えど困っている人はずっといるのだと思う。だからその困窮を解消するための取り組みは時と場所を問わず常に行われるべき。ただそのためのお金が税金をもとにしているということ。それを踏まえたバランス、配分が難しい。直感として、この災害が起きてまず、海外援助をすぐにでも削って国内に充てたらどうかと思った。

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ここでコーヒーショップを出る。

気仙沼港

南三陸

一関のホテルに宿泊し、1日目は終了。
手記に追記なし。
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by kan-net | 2011-07-31 01:09 | 勉強・見学
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