固定観念を打ち破れの巻
友人とのメールを通して『将来』というものについて考えてみた。

最近は歳相応に、自分の身の周りの人が『就職』に近づいてる。
そんで悩んでるような言葉を聞くことが多い。
これまでは区分さえ変われど"student"でいられたわけで。
student歴15年にてついにその身分が変わると考えると、やっぱり戸惑うよな。

僕が大学院に行くつもり、つまりまだstudentでいるつもりだから言えるのかもしれんけど、
いつも思うのは、将来のことを悩むときは固定観念を捨てた方が良いよなぁってこと。
たいてい、「自分はこうなるんだ」って思ってる。
そうなるべく大学の講義も選択して単位とってきた。資格も手に入れた。
だからそれが当然だって思ってるんだけど、
でもそれは必ずしも『今の自分』が本当にやりたいことと一致しないんだよね。
そりゃ、もちろんそれが浅はかで一時的なものだったらダメだけど。
本当にやりたいんなら今からでもそれに挑戦しようよって。
これまでやってきたことが無駄になるわけないし。
何らかの形で意味あるものとして残るし。
例えそれが信じられなくて、無駄になると思えて仕方なくても、
もう二度と戻ってこない『過去の自分』にこだわって
これからやってくる『未来の自分』を縛り付けるなんて、そんなことしたら
『今の自分』『未来の自分』って『過去の自分』の産物でしかないんだよな。
…つまんねーーーーー!よね。
僕は、おもしろい人生を歩みたい!!
って強く思うから、僕は『今』賢い選択をできる人間でありたいなって思う。


それは、別に就職とか進学とかに限ったことじゃなく言えると思ってる。
ここからは応用。

自己分析って地味に流行ってると思うけど基本的には『過去の自分』を分析してるわけで。
そんなものを通じて
「そーかなるほど自分はこんな人間なんだ」
って、『今』と『未来』の自分を束縛しちゃったとしたら、
それは、なんとも虚しい話。
せっかく分析したなら、それを踏まえて『今の自分』が望む『新しい自分』になるため
どうしたらいいかなって考えて、そして、それを実行しよう。
それが最も意味のある自己分析だと思う。

僕がこれまでに何度か聞いて、その度に憤慨してしまう言葉、それは、
「私ってネガティブだから。」
きっと"Negative"の『消極的な』より『(自己)否定的な』って意味で言ってるんだろうけど、
"Negative"(否定的な)を肯定するとか、どうなの。
本当に文字通り"Negative"だったらそんな自分すら否定したら?くらいのところを、
自分を変えるつもりがないからって都合良くいきなり肯定してるように見える。
「自分の落ち着く場所見つけた~」みたいな。
「それが自分なんだ~」みたいな。
そういう『否定の肯定』。なんか、悲しくない?

太陽の周りを回る丸い地球の上に人間が生まれては死んでいく。これは、変えられないこと。
だけど、人間は変えられるものだと思う。
もちろん天才と呼ばれるような先天的才能の部分は当てはまらないし、
足の速い遅いとか視力の良し悪しとか、身体能力的なものも根本的には変われないけど、
そういう脳ミソや筋肉の先天的な仕組みと違ったところ、
つまり形のないナニカによって既定されているような、性格とか、人柄とかは、
いくらでも、いつからでも変えられるに違いないと思う。
だって、形はないんだから。
変えるも何も、「変えたい」「変わりたい」って思った瞬間、変わることはできる。
後はその変化をどれくらい本気で実現しようとしてるか。
中途半端な願いで「別に変わらなくてもいいよ」ってのが根底にあるから、変『え』なくて、
でも本人としては「どうあがいても変『わ』らない」という結論になってしまう。
絶対に、変われるって。
だって、形はないんだから。

いや、これはNegativeだと自覚してる人を批難したくて書いてるわけではなくて、
ただ僕の価値観としては『Negativeだという自覚』は悲しいものであって、
また僕自身がNegativeじゃない(と自覚してる)からそういう苦労したことないものだから、
「変わろうよ。変われるよ。」って思って、書いてる。
自分なりに応援してるつもり。表現下手。
もしこれを読んでご立腹なさる方がいたら、ごめんなさい。


就職の話から始まって固定観念の話で思いのほか熱くなってしまった。
しかも長すぎる。要約力不足を露呈してしまったのでありました~。
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by kan-net | 2005-06-14 00:00 | 何気ない
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